2011年10月19日水曜日

英専5-Depression and the Body

1限 151 
Depression and the Body: The Biological Basis of Faith and Reality


(お、今日はめずらしく出席取るんだ)
P81 
・常態化していること-パーソナリティとして⇔一時的な

・(母を見失った)「泣いて」
(生まれてすぐから2歳くらいまでの子供にはよく見られるんじゃないでしょうか。)
泣いてもお母さんが出てこなかったらどうなるか。
→学習性無力感の実験的な感じ
一番原始的な「問題解決技術」も使えない状態。
『死ぬ』みたいな状態に(身体が)ならないとクリアできない問題。
=何も求めなければ良いだろう、みたいなことですよね
(これが統合失調症、分裂症質に至るメカニズム-発達上の問題で、ということ)

ビオン-密閉された状態でどこまでいくと発狂するか、と言う理論
-戦争の戦車の話から
ビオン-Container, Containedの(ウィニコット-のholdingとの違い)
-エリクソンでいうと基本的信頼感(basic trust)に通じるようなところ
そのあたりの剥奪体験がおこると、ローウェンのいう無力感につながってくる。
解決技術が奪われる→自我が育たない
これは一時的には通常起こることだが、それが「常態化」する、ことが問題

常態化する-固着-パーソナリティとなる
これと区別しなければならないのが「対抗」で、
時折、子供帰りしたくなる(トラウマが起きたときに)こと、
これは固着ではなく、一時的な「対抗」
それと、発達段階を育ってきていない「固着」は
表れとしては一見似ているが、それは区別されなければならない。
固着ではなく、一時的な「トラウマの対抗だ」ということはよくある。
だから「おもての表れだけ見ていたのでは駄目だ」と
歴史とか、その人の基底(シゾイド的な基底―脆弱さが危惧される)を見るとか。
そこに技術が必要だ、と。

・心理療法の見立てとカウンセリングの見立て
-今もっている能力の最大化=カウンセリング、
だから、今意識できることの広がりを見る、ということと、
心理療法の見立ては、もう少し、縦で(歴史性)見ていく。発達的にどこで止まっているか、と。
(『方法としての面接』土居健郎―力動的な見地からの見立て)
カウンセリングの方は、あるがままを見ていくということなので、そこまで縦の部分で追わなくても
傷つきだとか動かないところを見ていく、と言うよりも-「今あるもので補っていければいい」と。
そこまで奥に入らなくてもいい。
(ロジャーズはそもそも、高校でのカウンセリング経験-つまり、そんなにdisfunctionalな人を見ていたわけでは無かったから)
ロジャーズはだから、統合失調症のクライエントと会って困ってしまった。
(それ以降、person-centeredという方向へ。
 client-centered、では難しいということから)

・精神分析、長く続いていくが-
やっている間に目標が変わってくる、ということで長くなっていくことはあるが。
(はじめは、症状をとりたい、ということで来るが(でも症状なんてすぐとれるんだよね)
そこから、もっと固着のこの時期をみていきたい、とか、もっと良い女になりたい、とか
でも最終的に、
自分で目標をセットして、システムを自分の中で動かしていけるようになれば治療は終了 
原理としてはそういうこと。

・(自分の診られる人、範囲、の話、また個人開業することのリスク)

P82
unresponsive-state of depression
(母親におけるunresponsive)
-遺伝的なことと、母という環境のもとにいることでの子供の統合失調症っぽさ。

Hさん担当箇所

・(泣くこと
release one's grief-には、対象が必要だ、ということ。
(基本的な安全感をもつ)

・ペット-置き換え物、の話

・タバコとか依存症、まずやめさせるところから始まって、
どういうときに「欲しくなるか」というところからの分析

・「良い症状」

*しかし、ローウェンがいうところの、「感情そのもの」と「感情の欠落である抑うつ」を同一視できないのとどうように、「症状」と「症状を感じられない状態」を同一視はできない。

*認知療法-悲しみと抑うつの区別。悲しみなどの陰性感情(ネガティブ感情)は人生の一部。その感情にも生物が進化する過程での生存にかかかわる役割はあった。


例えば悲しみの役割としての「解決を必要とする問題への注意喚起」(Bieling&Antony 2003)。(今日の、自分がリーダーでウォーミングアップした時のIさんの反応のことを即座に思い出す)嫉妬は「相手への投資を保護する目的」、孤立感は「一人でいることが危険で問題が多いことの示唆」


きっと生存過程で必要だったが、現代的生活の中では不必要と思われる感情のいわば「暴走」が心を乱す、という側面もあるんだろうな。急速な環境変化の中で廃用されずに単に心を乱すものとしてのみ残ってしまっている陰性感情、というものを想定すると、主観的な体験からは抑うつとあまり変わらない。一方はあって当然のもので、もう一方は治療可能と言われても感覚的に混同されるのも無理からぬところなのかもしれない。

・うつの希死念慮的なところ、「症状をもてない」ことから。

・「症状化」する、ということ。
症状があると「しのげる」。(癖-本人が不都合を感じない部分での症状、イチローの儀式の話)
三項関係(三者関係)
二者関係の危機に助けになる「症状」としての第三者
(何を間に置くことで時間が(余裕が)持てるようになるか)

・「症状化-」、防衛機制の一つ(「高度な、ね」)と捉えることもできる。

・症状化というのは、線引きをすること。問題を限定すること。これは(仮)ということでも意味が出てくる。(=「~は置いておいて」ということが可能になるということ)

・困っていることをまずはっきりさせる。

・症状化するということで、「葛藤外の自我領域(ハルトマン)」を語ることが出来る。
他の話ができる、という意味。

・「なにか」を「症状化」すると言う意味ではなくて、
自分の内面という漠とした空間に対して、この部分は(線をひいて)「症状化」とする、ということ。

*概念化して、病気という診断名がつく、ということだけでも意味がある、ということなのか。
安心して、でもそこから、「何かを取り組ませないとやばいでしょ?」
外在化できるから。

・「実際に困るまでは心理療法に入れないよね」
*いやな行動をあえてやってみるという行動療法の「行動活性化」

人格障害レベルだと―
正当化と違和化(病名がパスポート化しているかどうか)
=人格障害的だと、正当化して安心するパターン
それでも息苦しくならないのが人格障害で、神経症はここで息苦しくなる。

・「いる」ということの安全感をどうつくっていくか
-見捨てられ不安(見捨てられ不安が強い人は神経症ぎりぎりの人格障害、てきな)

・人格障害-2歳児と思え、とはいわれるんですけどねぇ
かぁーっとなってるひとにかぁーっとなったら終りでしょう、
でも怒りをあらわしたいわけじゃなくて、ある意味「試している」ということ。

*三項関係と「神様を置く」ということ関係はどうなんだろうか。
 
・発達心理学(三項関係は発達心理学の文脈)
三者関係(エディプスコンプレックス)
二者関係-三者関係

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