2011年6月10日金曜日

震災ボランティア体験報告

保護者会用ボランティア体験報告用原稿要点

●ボランティアで行うことの概要
 ・瓦礫の撤去、個人宅の再建に向けたお手伝い
 ・ボランティアセンターとルーテル教会が直接請け負っている仕事2種類ある
 ・作業を通して、そのお宅の方と個人的にお話を聞くことが出来る。
  また、現地の方は勿論そうだが、他のボランティアと参加者と話をすることも勉強の機会。

しかし、どんなにそれが素晴らしいものであっても、そこでの安全が確保されていなくてはボランティア活動は継続していきません。また、学生の参加に当たっては、経済的な負担も大きなものでしょう。

(結論から申しますと)
●ルーテル教会の支援機構を通じての活動、学校からのバックアップによって、
ボランティアに参加する私たち自身に対して大変配慮された状況の中で活動をすることができたと言えます。

・まず、教会で寝場所が確保され、食事が用意されている状況でボランティアが出来ること。
実際行ってみて、このことのありがたみが身にしみました。
ボランティアセンターを通じて参加されている方の多くはテントや車で寝泊りしながら、外食や食料を持ち込んでの自炊で活動をされています。
このことは、日々の疲れを出来るだけ残さずに、また翌日元気に作業をする上で大変重要な条件です。

・キッチンボランティア(いない時にも食料と台所を使って自分達で作ることが出来る)
・参加者が地元の社協で加入するボランティア保険(600円)も、教会の支援によって現地で清算をしていただけます。
・また、毎日夕食後にはその日の活動報告と各自の感想を話すミーティングがおこなわれるのですが、この時間も、ボランティアをすることによる心のダメージを少しでも緩和するという意味でとても意味深い時間でした。
 
・教会を通してのボランティア、「祈り」の習慣。
自分はクリスチャンではないが、心理的な安定の上でとても有意義な時間だった。また日曜日は作業は休みで礼拝に参加する。
 
・学校のバックアップ
 学校が交通費(4000円)の援助をしてくれる、
 長靴や手袋等、被災地でのボランティアに欠かせない道具の準備
 ボランティアに参加している間の欠席は公欠扱いになる(各期各講義で1回)
 今回はチャプレンの引率で行きましたが、普段の学生の様子を知っている先生が責任者として気を配ってくださることも安心感を持って活動をできる要因のひとつだったと思います。
これらのことは、ボランティアというものが、決して本人の自発的な意志だけ、で成立するものではないという観点から考えられていることだと思います。
被災地でのボランティアに参加することは身体的、経済的にもそうですが、心理的にも負担のかかる活動であることは否めません。

(PTSD学会HPから)
-急性ストレス反応期からPTSDに移行するまでの間に出来ること
心理的な応急処置として示されていることですが、
 ・安全な空間が確保されていること(具体的な不安の無い状況)
 ・自分自身にどのような反応が起こり得るかを知っておくこと。
 ・寄り添ってもらえる相手がいること。


今回のボランティアにおいては、このようなことに配慮されたなかで活動を出来る。貴重な機会。
僕たちと一緒に参加された方の中にも、これがはじめてのボランティア参加という方がいましたが、そのような方にも安心して参加できる機会であるということ。

●個人的な感想
やはり行かなければ分からないことがある。
つまり、「変化のないことはニュースになりづらい」、しかし多くの人は大きな被害がなかなか回復されないこと、長期的な見通しが持ちづらいことで苦しんでいる。
実際に3ヶ月たっても瓦礫の撤去が終わっていない地域もまだ数多くあります。
このことは国や各自治体が迅速に動けば解決されるという事ではありません。
現在でも避難所を始めとして様々な補助やサポートが提供されているが、数100年に一度と言われる災害に対して万全の支援が行われているとは言い難く、皆手探りで復興への道を探っているというのが実情であるかとおもいます。
そのような中で、公的なサービスや商業ベースでは汲み取れないニーズに対応するのがボランティアの役割です。現状に即して、なるべく迅速に支援をする、つまり、救援や支援に関するプロフェッショナルではないわたし達が、この現実の中で率直に感じた「困っている人の助けになりたい」という想いを行動に変えていくことが、ボランティアの中心にある考え方ではないでしょうか。

わたし達の学校には、キリスト教学科、社会福祉学科、臨床心理学科と3つの学科があります。それぞれ学ぶ内容や将来の方向性に違いはありますが、共通して言えることは「対人援助」に対するココロザシ、つまり「困っている人の助けになる」ために必要な勉強をしたいという思いです。

東京で行える支援が様々にあるということは確かにそうです。しかし実際に現場に行って、直接困難を抱えている人に対して直接支援する、という経験は、わたし達がこれから日々勉強をしていくに当たって、また将来を選んでいくにあたって、大変有意義な機会であると思います。また、学生であるわたし達が率先して行える社会貢献と言えるのではないでしょうか。

●最後に
・第2回の派遣の宣伝。
(もし学生が行きたいという気持ちを持ったときは、是非応援してあげて欲しい。)
・チャリティコンサートの宣伝
・募金の呼びかけ
直接的な支援は勿論そうだが、継続的に人を送ることにもお金がかかる。
 特にこれから長期間かかると思われる被災地の復興を継続的に支援していくに当たっては、継続的にボランティアが確保される体制作りが行われなくてはならない。
・全員がボランティアに参加できるわけではないが、
(・体力的な問題について。様々な仕事はあるが―)
そのような体験を持った人と授業や休み時間を通して関わることで、直接的な体験がシェアされることの意義。

募金の使い道
・ルーテル学院が行うボランティア活動の費用。
・学生の交通費、道具等の購入費にも

報告会後 募金活動
-多くの募金をしていただけた

2011年6月7日火曜日

“となりびと”活動メモ

(110824作成)

ルーテル教会“となりびと”ボランティア活動メモ

●おおまかな一日の流れ

[朝]
・前夜のミーティングでの作業割り振りにしたがって、各自起床、朝食、昼食のおにぎり作り
(行く場所によって出発時刻は異なる。)
・となりびとの1BOXや、となりびとで借りたレンタカー、参加者の車で各目的地へ。出発以降は各班ごとでの行動
[作業]
・となりびとのメンバーだけでの作業という事はあまり無く、ボランティアを依頼した人や、他のボランティア団体、ボランティア参加者と一緒に作業をする。
・どの現場でもボランティアの健康を考えて、2時間に1回程度の休憩があり、朝は、8時半~9時から作業開始、遅くとも16-17時には作業終了。
・トイレは各ボランティア先で指示がある。
・スコップなどの道具はとなりびとから持参か、VCで借りる。マスク、軍手、救急道具などはとなりびとから持参し個人管理。個人の荷物は、車の中に置いておくか、まとめて一箇所においておく。
[夜]
・となりびとにもどってから、各自で銭湯(花の湯)へ。戻るのが遅くなってしまった班はいけない日もある(ミーティング後の時間だと銭湯が閉まってしまうため)作業先の自衛隊風呂に入ってから戻ることもある。
・キッチンボランティアの人がいない場合は、その日のメンバーで早く帰った人が夕食を作る。その他の人は皿洗いをする、翌日のおにぎりを作るなど、臨機応変にみんなでみんなの食事を準備する。
・夕食をとって20時頃からミーティング。(時間はスタッフの作業状況によって変わることもある)
・ミーティングでは各自のその日の作業、感想などを報告(ひとりずつ全員話す)。スタッフから全体的な話があり、翌日の作業割り振り。
・ミーティング後は基本的に自由。ボランティア同士で話す人もいれば、早々に休む人もいる。
・歩いて3分ほどのところにファミリーマートがあるので、必要なものは大体そこで買える。


●6/1(水)・到着後、夕食(カレー)をとってミーティング。

[ミーティング]
・今日の石巻ボランティアセンター(VC)この日の受け入れ人数は250人。(週末など多いときは700人)
・石巻VCは雨天の日はマッチングをしていない。
・VCでの仕事で多いのは民家の泥かき、荷物の運び出し
VCの受付はとなりびとで継続してやっている。(基本的には全国の社協から職員が交代でやっているが一週 間ほどで帰ってしまうので継続性が問題)
・東松島「スミちゃんの家」(主宰者のスミコさんは宮城県の老人福祉の業界では有名な人)―となりびとが直接依頼を受けてボランティアを派遣している。当初は冷蔵庫を支援してほしいという依頼だったが、「地域の人が集える場を作りたい」ということで、作業の手伝いも。
・山形県の物資が余っていることが河北新報に出ていた、運ぶ人を募集している。
・本来ボランティアの人には初日は「見て回ってもらう日」にしているが、3,4日の短期の場合は初日から作業
・朝食は各自でとって、昼のおにぎりを作ってもっていくように、との指示。

●6/2(木)東松島「スミちゃんの家」1日目

[朝]
・朝5時頃起床、みんなで昼食用のおにぎりを作って、炊飯器をもう1回転。
・朝食は、昨夜、ルーテル学生が作っていた味噌汁とちょっとしたおかずで。
・ルーテル学院班は東松島の「スミちゃんの家」へ。
・朝の高速道路は仙台市内からの災害支援車両で渋滞している、移動に約1時間半
・移動途中で、松島の被害状況を見る。

[作業]
作業時間―9:20-10:15/10:45-12:00/14:00-15:00、こまめに休憩をはさみながらの作業
・駐車場の整地、津波がきたことでえぐれたり、土砂が堆積している部分をならす。砂の中に貝殻や石、流されてきたガラスや食器の破片。
・昼食(味噌汁を出してもらった)をとりながらスミコさんから、被災状況の話を聞かせてもらう。
・午後の作業後、スミコさんが別の場所でやっている老人福祉施設「はまなすの里」を案内してもらう。その途中で避難所になっている体育館を見学。スミコさんと一緒に、避難している人の話を聞く。チャプレンがルーテル学院のケアカード(サポートダイヤルの番号が記載されている)を配る
野蒜小学校の見学。校庭には流されてきた車が数十台集積されている。車の中には私物も残っている。
・小学校の1階部分はまだ津波が来てから手が入っていない状態のまま。
・小学校体育館は遺体安置場所になっていた所ということで皆でお祈りをする。

[夜・ミーティング]
・となりびとに世界ルーテル連盟(LWF)からとなりびとへ視察に来ている。LWFの意向としては、この震災支援を通して、ルーテルのサポート活動(psycho-social support)を定着させていきたいらしい、LWFを通じたソーシャルワーカーが誕生すれば、というような話。
・徒歩で銭湯へ。番台のおばちゃんとボランティア作業の話を多少する。
・明日は石巻班、石巻VC班、牡鹿班(仮設住宅入居者への物資セット作り)、東松島班。
自分は東松島、他のルーテル学院メンバーは石巻VC。

●6/3(金)東松島「スミちゃんの家」2日目
[朝]
・前夜、夜中(12時頃)まで話していた一部ルーテル学生が教会に泊まっていたスタッフに叱られていた、との話。(へこんでる・・・)
・7:30出発、となりびとが借りているレンタカーで出発。東松島班は4人。自分が運転していくことに。(*長靴での運転に不安)

[作業]
・午前中は昨日整地した駐車場に、円筒形のセメントブロックを埋めて仕切りを作る。つるはしで地面を掘る。手に豆が出来て皮がむけてしまった。「スミちゃんの家」から絆創膏を貰う。
・「スミちゃんの家」はかなりきれいになっているが、周囲の家は手付かずのところも多い。ボランティアの支援を受けるにはその家の関係者が立ち会うことが原則なので、無闇に片づけを行うことも出来ない。そのまま取り壊してしまう予定の家も多いとのこと。
・「スミちゃんの家」の職員、Kさん(尼さん)が昼食にうどんを作ってくれている。
・昼食をとりながら、お父さんの話をきく。昨日行った野蒜小学校の体育館は津波がかなりの高さまで入って、そこに避難していた老人らが水にのまれてしまった、とのこと。誰かを文字通り「踏み台」にしないと生き残れない状況。小学校校舎の2・3階へ素早く避難できた人は助かった。教室のカーテンを裂いて結び合わせて水面に投げ、流れてくる人を助ける。
・ヤマトの宅急便は機能している。「スミちゃんの家」宛てに食料などが段ボール箱で送られてくる。
・午後の作業は、スミコさんが依頼を受けた近所の家のガレキ撤去。
・JR労組の人たちと一緒に作業をする。(労組が組織して、一日交代で職員を派遣している。翌日には仕事に戻る、とのこと。各地から人が来ている。労組のゼッケンを着ている)
いわゆる震災ボランティアらしい作業。道路など公共の場所はきれいになっているが、民家の庭などには流されてきた物が大量にたまってしまっている。バケツリレーでのガレキ搬出。写真や位牌などが出てきた場合は取り分けておく。その他のものは、自治体の区分にしたがって、木、布団、ガラス、プラスチックなどに分けて、収集してもらいやすい場所に集積しておく。(後でトラックが回収に来る)水を含んだ、布団、畳などは本当に重い。
・撤去したものの内容:家の柱・梁、トタン屋根、窓、サッシ、本、アルバム、靴、米、食器、毛布、など
・家の中から出てきて、まだ使えそうな家具を洗って乾かす。
・その場で出会った人と共同で作業をすることの楽しさもある。

[夜・ミーティング]
・山口の教会から来ている大工さん。「家というものが構造的にありえない形で壊れていることのショック。想定外を実感する。」「津波に壊れない家をつくることの大変さ」
・LWF-コミュニティダイナミクス(人間関係)を生かした支援のあり方
・気仙沼で拠点確保が出来た。
Cash for work(被災者が賃金を得られる仕事の斡旋)というプロジェクトの説明
・買い物ヘルプの仕事、ターゲットは孤独死の防止。しかしこれを実現させるには介護・介助の知識がなくては。そのことをボランティアに伝えられる人が必要。
・ルーテル学院のケアカードを牡鹿でも配ってもらう。
・コミュニティの再建という支援の視点。となりびとのスタッフとは報告書の内容(寄付金の使用状況)などを巡ってかなり激しい議論が行われている。LWFの人は監査的な役割もあるよう。
・ミーティング後、ボランティアで現場への入る際の姿勢についての話。(今後自分たちが参加するであろう実習のことも考えながら)
・自分は明日も東松島へ

●6/4(土)東松島「スミちゃんの家」3日目

[朝]
・朝6:40頃起床。山口の教会から来たキッチンボランティアの人がつくってくれた朝食を食べる。おいしい。
・7:30出発。スタッフのSさんの運転。
・報告書用に作業風景を撮影することをSさんから頼まれてデジカメをあずかる。(LWFの人との話が影響しているのか)。Before-Afterの様子が分かるように、とのこと。ルーテル教会の支援でこのようにきれいになりましたよ、ということが伝わるような形にしたいのだろうなと理解。

[作業]
・「スミちゃんの家」の近所の畑のガレキ撤去。道路の側溝の石の蓋はとにかく重い。20㎏ほどあるとのこと。
・NTT労組OBの人らと一緒に作業。宮城県の人たちらしく、色々なところでのボランティアの様子を聞く。
・スミコさん「自分の家だけきれいになっても、周りがきれいにならなければ地域はもとに戻らない」
・午後はNTTの人の車に乗せて貰って、奥松島、月の浜の様子を見に行く。民宿が浜と山に挟まれて密集している地域。ほとんど片付けの手が入っていない。壊滅状態。しかし、数メートルの高さの違いで問題なく残っている建物もある。
・土曜日だからなのか、被災地を見に来ている人もいる感じ。自分のやっていることへの罪悪感、居心地の悪さを覚える。地元の人と一緒にいることで多少免罪されているかのような感覚。
・月の浜の民宿街入り口の前には、震災前からあるらしい「大切に守ろう、私たちの自然」の看板。皮肉。
・戻って引き続き、別の家の庭の片付け。
・その後、山口の大工さんの手伝い。障子の桟をきれいに洗う。
大川小学校のことはどこに行ってもよく話題になる。
・作業後、迎えの車を待って帰る。

[夜・ミーティング]
・「スミちゃんの家」の活動ノートをつけることになる。その日の作業内容、参加人数等。
・となりびとの近所のひとから差し入れをいただいたとのことで、夕食に餃子とシュウマイがでる。
・VCの受付業務はクレームを受けることも時折あるらしい。「仕事がないことへの不満」など。
・食糧支援について。カロリーは足りていても、内容のバランスが良くない。長期間にわたると健康面での不安にもつながってくる。特に野菜が足りない。避難所で自炊を続けていくことは大変。特に女性が負担を感じることが多い。今後も炊き出しは大事。
・現地で震災を受け止めることで見方が変わる。経験によって想像力の幅も広がる。
・宮戸島ののり加工工場の清掃を漁協から依頼される。(ボランティアバスパックについての説明)
今後ボランティアが大幅に増える可能性は低いとのこと。しかし力仕事はまだまだ手が足りない。
・自分の明日、明後日の作業は石巻VCに行けるようにSさんに配慮してもらった。基本的にボランティアの人の希望を汲んでくれる姿勢がありがたい。

●6/5(日)休み
・日曜日は休日。朝7:30頃に起きて、普段寝泊りしている礼拝堂を清掃。礼拝にも参加。
・説教はペテロが復活のイエスに出会って回心する箇所について。牧師の先生から額に手を当てられ祝福を授けてもらう。「主、イエス・キリストの愛、父の恵み、聖霊の交わりがあなたとともにありますように」
・礼拝後に自己紹介。学長の知り合いの東北学院大学の先生から声をかけられる。
・お茶を飲みながら参加者と話をする。管政権批判、赤十字募金がいきわたらないことへの不満。
・「兄弟達の口から語られる神は、私の中にあるそれよりも強い」というのは感覚的に分かる気がする。(トリプレットの社会心理学的な実験「競争が行動を促進させる」にも関連があるか)
・コインランドリーで洗濯。映画「ザ・ファイター」鑑賞。あおい書店。
・一人当たりの食事代として一食300円の予算で買い物をしているらしい。実際はそんなにかからないよう。

●6/6(月)石巻VC1日目
[朝]
・石巻VCへ。朝6:00出発。
[作業]
・予定時間よりも早く石巻へ到着。一時間半ほど。VCのある石巻専修大学へ。広い。グラウンドにはボランティアの宿泊テント用の場所が確保されている。
・VCにもボランティア用の水のペットボトル、マスク、軍手などがおいてある。
・VCの受付は朝8:30から。新規と継続の受付が分かれている。住所等を所定用紙に書いて、名札のシールを貰う。その後、VCのスタッフの呼びかけに応じて各ボランティア先の必要人数に合わせてチームに分かれる。チームからは一人リーダーを選出。ボランティア経験の多い人、年長の人がなる傾向。譲り合いの気まずいムード。スタッフからその日の作業の説明。家の大きさ、畳の枚数、搬出する家財道具の種類について。また、VCの倉庫(体育館?)から借りていく道具の数についても確認。スコップ、ジョレン、カギ、ホウキ、チリトリ、一輪車、ブルーシート、土嚢袋、ヘルメット(かぶらずに作業する人も多い―暑いから)など。数を倉庫のスタッフにチェックしてもらって、そのシートをリーダーが保管。
・VCからバスでボランティア先へ移動。渋滞で45分ほどかかる。
・今日の活動場所は、周辺の家はきれいになって生活している人の方が多い場所。一人暮らしで住んでいた人のお姉さんが横浜から来ていて立ち会い(本人は病気で入院してしまった)。近所がみなきれいになって、一軒だけ放っておくことは出来ない。臭いも出る。海水と共に入り込んでたまっているヘドロからの悪臭がひどい。しかしVCへ申し込んでから一ヵ月半ほど待ったとのこと。
・家自体の破損はほとんどなく、海水の浸入で家が荒れている状態。比較的内陸に家が建っているため。
近所の家でトイレを借りられるように段取りがされている。・チーム内の男で家の中のものをとにかく全部おもての空き地に出して、それをボランティアの女性と立会いのお姉さんで仕分けする。
濡れた畳、じゅうたんはとにかく死ぬほど重たいが、「カギ」をつかって四隅から持ち上げると何とか運べる。
・家の中は風通しがされていたこともあって臭いはそこまでではないが、家具の引き出しや、食器、入れ物の中にたまったものから強烈な悪臭。
・休憩時間にはボランティア同士での話が結構盛り上がる。各地の状況の話。なぜここに来たか。お茶やお菓子を家の方から頂く。近所の人も来るなどして和やかに会話。
・家の中はとりあえずきれいになっても、床下のヘドロを出さないとそこから臭いが出るし、家の基礎も傷むし、そのままでは住めない。
・16時頃に作業終了。VCに戻り、道具を水で洗って返却して解散。1日一緒に作業をした人たちとの別れが名残惜しい。
・石巻市内の自衛隊風呂の入る。石鹸・シャンプーからメイク落とし、飲み物などが用意されている。無料。しかし、そのすぐ脇の建物は崩れたまま手付かず。

[夜・ミーティング]
・ボランティア詐欺(ボランティアと称して被災者をだます)について話が盛り上がっている。
・掃除をする、片づけをすると言っても、作業のやり方はボランティア各自任せの面があるので、やり方を指導することも必要ではないか。

●6/7(火)石巻VC2日目
[朝]
寝坊しかけて、10分で支度をし、ダッシュで車へ。親切に、キッチンの人が昼ごはんをセットしてくれていた。ありがたいがやばかった。6:30出発

[作業]
・石巻市吉野町の家へ。車2台で移動。この辺りは地盤沈下が起きていて、道路には砂利が敷かれて大潮の時でも車が水につからないようにされている。
・あらかじめ床板がはがされている1階の床下の泥出し作業。固まっているヘドロを土嚢袋に詰めていく。スコップを動かせる範囲が狭く、あまり作業がはかどらない。(ボランティアは床板をはがすなどの大掛かりな作業はしないことになっている。)
・家の裏の岩山が崩れている箇所を見てやや怖い。
・3,4軒先、5メートルほど高い場所に建っている家は無事。
・通りがかりの水産加工工場の脇ではヘドロに浸かった缶詰を拭いている人がたくさん。
・近所のセブンイレブンがあった場所には、移動販売車が来て営業している。移動ATMもある。脇にALSOK
・床下の泥だし作業が終り、家と壁の間の泥を出す。隣の敷地に一端土嚢袋を積んでいたら地主がきて怒られる。
・作業が終わって、家の人が「頑張ろうっていう気になりました」という言葉がやや気にかかる。
・VCに戻ると、被災地の人からボランティアに差し入れられたおにぎりが配られている。おいしい。
・夜、夕食をとって、ミーティングに参加した後、深夜バスで帰京。