2011年10月12日水曜日

近世史との対話-3 ルネサンスと中世

4 151教室

いい季節になりましたね、勉強もはかどる
 今日でイントロダクションを何とか終わらせて-
いつも私はイントロが長くなるので…

では、先週のプリントを出していただいて、少し補足を。
この前はブルクハルトのルネサンス論の確立まで行きましたね。
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【前回の復習】
ブルクハルトは、現在、一般に通用しているルネサンス概念を定着させる。
『イタリア・ルネサンスの文化』1860) Die Kultur der Renaissance in Italien
これはドイツ語でかかれた本だが、ルネサンスという部分はフランス語をそのまま使っている。
これがルネサンスの語を定着させた。

ここでブルクハルトがテーマにしていたのは、
14世紀から16世紀イタリアで発展した文化を全体的に考察」すること。
彼の意味したところは「世界と人間の発見」の時代としてのイタリア・ルネサンス
14世紀~16世紀にイタリアで発展した文化=ルネサンス文化=「世界と人間の発見」の時代
一つの「時代の発見」としての意味。

では、世界と人間の発見、とはどういうことか。
古代の文化を復活させながら、これは基本ですよね、
そして、
個人の持つ自由な発想と
(それまでの神ありき的世界観から離れ)現世の世俗的価値を認めながら
世界(人間を取り巻く外界、自然界)や人間そのものを積極的に探求した時代
これがつまり、「世界と人間の発見」

ですから、ここでブルクハルトが言いたかったのは、
中世を克服した新たな時代精神
個人・自由・世俗これらはみな中世では抑え込まれていた、と考えられる精神ですよね。
つまりまとめると、ルネサンスを「ヨーロッパ近代精神の出発点」と考えたのがブルクハルトだ、と。
このようにしてブルクハルトによってルネサンス論が確立されました、と。
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1860年、19世紀後半の知識人にブルクハルトのルネサンス論は共感を呼んだ。
当時の知識人に共通して考えられていたのは、
「ヨーロッパ近代精神(精神)は、どのように誕生したのか」
当時世界史においてはヨーロッパがリーダーシップを取っていた。
それはどのようにして出てきた?というのが一大関心事。
例えば、マックス・ウェーバーの関心はまさにここ。

それに対してブルクハルトは一つの答をだした、ということ。
近代ヨーロッパの精神はルネサンスにあるんだよ、と。

これは、今に至るまで修正は受けつつ、基本的には現代に受け継がれているもの。
ブルクハルトなくして、ルネサンスなし」と。
ということで、ブルクハルトのルネサンス研究は重要だ、と。

*参考文献のプリント
一番上、もちろん日本語訳があって、文庫本になってますね。

で、
今日イントロの最後にお話したいのは、
この授業のルネサンスの見方にもかかわりますが、
ブルクハルトによって確立されて、現代では一般化されているルネサンスの捉え方、
これは何の問題点もない、という訳ではない。
マックス・ウェーバーも
「学問は乗り越えられるものだ」と『職業としての学問』において言っていますが
こういう、すごい発見、主張であったりというのは、
それがすごいほど、批判を受けます。
どうでしょうか皆さん、芸術でも研究でも、
良いものほど、何の落ち度もないですよ、ということはない。
批判を受けていかに批判に耐えられるか、と。

どういうブルクハルト批判があるか。
これについて話しているとまた何時限も使ってしまいますが、ポイントだけ

結局、ここで考えたいのは、前期の中世史との対話において話していたヨーロッパ中世の-
「近代の出発点」と言ってますが、
ブルクハルトはイタリアルネサンスをこう(まっすぐに)みていますので
その前後の時代との関連に対する言及が少ないのではないか。

○ルネサンスと中世との連関の問題

ルネサンスを、新しい時代としか見ていないと、いかにも中世と「断絶」しているように見える。
これがそうなのか、あるいは断絶してないならどういう連関があるのか。
例えば、批判として、ブルダッハ(ブールダッハ)ドイツの言語学者です。1920世紀の人。
彼は、言葉というところから探っていくわけです。
ルネサンスは、再生という意味でしたね。
彼はブルクハルトが人間精神の再生、古代文化が中世をはさんでルネサンスで蘇ったと。
ブルダッハもこの点には共感している。
しかしそれがルネサンス期にポッとでてきたものなのか?と疑っている。
中世にも「再生」を表す言葉が出てきているのでは?と。

ということで、彼が着目するのが「神秘主義」(アッシジのフランチェスコや-)
というのは神秘主義辺りから、人が一人の人として、神との霊的合一ということを果たすと主張する。
人間精神の再生思想、宗教的な個人主義、のようなこと

あと、古代ローマの復活、14世紀辺りからこのような思想(古代ローマ復活運動)は強くなっており、
ルネサンスから急に始まったと言う事ではなくて、中世においてもそういうものが出てきているよ、と。

あるいは、こちらの方が知ってらっしゃるかな
チャールズ・ハスキンズ(18701937) 12世紀ルネサンス」1927
彼がここで言おうとしているのは、
古代文芸の復興運動、ルネサンスに始まったのではなく、既に中世にあった、と
12世紀になにがあったか、
西欧において、ラテン語の復興運動が起きている(大翻訳運動

なので、
ルネサンスが光で、中世が暗黒という見方が大きかったが、
12世紀おいてもこんな運動があったんですよ、と。
一般的な中世史観にたいしての反論

しかし、ブルダッハにしろ、ハスキンスにしろ、それはルネサンスと同じものか、と、
「中世との断絶はないです」と言いえるか。
「あまりにも対照化するのはどうなんだ?」という

ま、ともかく問題として、中世との断絶とだけみるのはどうか、という疑義が出された

これからお話しようと思っているのは、
対照化うんぬんということよりも
ルネサンスとその前後の時代に、
思想やメンタリティ面での繋がりがあったのではないか、ということ。

今では単純な中世とルネサンスの断絶を言う事はできないが、
前後の時代との連関を-

○ルネサンスと近代との連関の問題

ブルクハルト-「ルネサンスは近代の出発点」という見方。
彼の主張をみると、なにかルネサンスと近代は直接結びついているようなイメージが湧くが、
でもどうでしょう?ということ。
ルネサンスと近代の結びつき、直接結べる?
このへんもうちょっと見ていかないといけないんじゃないですか、という批判があるんです。

まえにちらっと触れたかもしれませんが、この問題、大きいですよね
「ルネサンスは近代精神の出発点という考えのなかに
「科学精神の芽生え」と言われるが、
しかしいまは、そう科学的とはいえないのではないか、と。
よく言われるのは「魔術的な世界としてのルネサンス」と。

みなさん「魔術」というとどうでしょうかね。どんなイメージ?
魔術というと、クラスで紹介するのはルネサンス魔術の中でも
・占星術
・錬金術
という話をしたいと思いますが、これはルネサンスで隆盛を迎えた。
いわゆるオカルトの世界ですが。(オカルト=隠された)
しかしルネサンス人にとっては大きな世界観のもとの、合理的な考え方なんですよね。
しかし近代的視点から見ると「非合理的」
じゃあ、これは「近代科学精神」と直結するの?という問題がでてくる。
なので科学者の先駆けと言われるひとにおいても、魔術の影響を受けている人は多いですよね
(後で詳しくお話しますね)
そういうことでよく見てみると、安易にはルネサンスと近代のつながりを言う事は出来ない。

ですから、イタリアルネサンスと言うのはブルクハルトの指摘しているところは間違ってはいないが
違った側面から見てみたらどうなるのか、と。
そこでルネサンスのイメージがどう変わるか。

ですからブルクハルト以外のルネサンス研究は彼を乗り越えて新たなルネサンス像を構築できるのか、というテーマ。ですから、ブルクハルトのルネサンス論あればこそ研究が進んだという側面があるわけですね。
じゃ、この辺でイントロは置いておいて、具体的なお話をして、と。


そうしましたらちょっとさっきの参考文献の解説をしておきたいと。
ルネサンスに関する本は、人気のテーマですし、研究も進んでるし、一杯あるんだよね。
まぁ入り口、として役立ちそうなものを。

上から見ていくと。
(詳細略)
読みやすいのは講談社学術文庫の「ルネサンス」であるとか、
世界の歴史シリーズの-樺山さんの
澤井さんの「ルネサンス文化と科学」これは魔術についての話。
有名な研究者ピーター・バーク

とりあえずこの本をお回ししますね。
ネタバレの危険性を感じつつということもあるのですが
*先生正直だなー

      


○レジュメ
中世末期「危機の時代」とルネサンスの始まり

1.ルネサンスの始まりをどこに見るか
→ルネサンス文化の精神的基礎としての人文主義の発展

まずはじまりの14世紀からみて、ルネサンスを考えていきたい、と。

まず、先ほどの「ルネサンスと中世は断絶していたのか」という点から

ルネサンスってどうしても「新しい時代の幕開け」といったイメージですよね
光の時代という捉え方。
しかし光があると言う事は何があると思いますか?
「影」「闇」がありますでしょう。じゃないと光は際立ちませんね。
そこにルネサンスが芽生えてくる。
なので、決して何もないところから光がさすわけではないと
「光と闇の交差」
闇があるから光がさすと言う事がおこるのだ、と。

・ルネサンスの始まりをどこに見るか、何に見るか
何でこういう話を最初にするかというと、この問題に向かい合おうとする人の視点、
人が何かを考えたり観察する時には、絶対に視点、観点というものが必要であり
また、それによって見え方は変わってきます。

例えばルネサンスはいろんな分野を包括した出来事ですよ、
そのなかで、美術史で言うなら、誰が始まりなのか
狭間にいる人としたら-ジョットかな。(彼はむっつり加減がよくてー)

文学で言うなら、ペトラルカ、ボッカチオ
ダンテ、なんてそうですよね。「神曲」
俗語文学、地元の言葉で文学を著す。人間を豊かに描き出す
彼も13世紀の後半に生まれてますのでジョットと同時代人です。

ということで視点によって異なる、と
それぞれに観点があるわけですよね。生き生きとした人間像というような。ことで言った場合。

視点によって違う、というのは、「ルネサンス文化の本質をどこに見るか」ということでの違い

ここで、私たちは、ルネサンス文化の本質として、焦点を当てるところをはっきりさせましょうと。
そうしますと、文化がすなわち、精神、それは絵を見ても文学でも建築でも哲学でも、
ある「精神」がもとになっている、と。
そこをちょっと考えてみていきたい。

そうしますと、「ルネサンスの精神」てなんですか?と。
「人文主義」=古典文化の再発見による人間(性)の価値の認識と探求精神
ここに、ペトラルカや、ボッカッチョ、こういった人たちは人文主義の先駆者、ということになる。

実は、先の話をすると、ペトラルカらは文学者として有名ですよね。
ダンテと並んでイタリアの俗語文学の先駆けに位置づけられている。
彼らが「古典文化」から何を見出そうとしたのか、ということをみて行きたいと。

では、彼らが出てきた時代はどういう時代だったのか。

○2.ルネサンスの始まりの時代的背景~14世紀「危機の時代
14世紀に対して危機の時代、はよく言われる事です。

十字軍はいつごろおわりましたっけ13世紀後半。
中世、1112世紀という時代は、前の時代は-

前の時代:中世盛期(中期)比較的経済的、社会的に安定していた
末期にかけて、それまでの社会構造が変容してくる(社会的混乱を招く)

1)ローマ・カトリック教会体制の動揺
(中世の社会を支えてきた土台)

その発端としては「十字軍の失敗」―教皇権の弱体化
13世紀の半ばくらいから、教皇権と皇帝権の2元体制となっている
皇帝権にもまたぐらついている13世紀半ばは「大空位時代」―皇帝権も弱体化
そこで何が出てきたのか
背景には:国民国家の台頭(フランスやイングランド)
結局、国王が強くなってくるわけです。
なので中世の骨組みである教皇と皇帝の二元体制が崩れてくる、と。

教皇権の弱体化の具体的な事件としては-
教皇とフランス国王の対立(そして教皇の敗北)
1303)アナーニ事件
クレメンスの前にボニファティウス8世とフィリップ4世が対立
アナーニはローマの近くです。ここで教皇を捕囚してしまうわけです。
これは教皇の敗北を表している。これでボニファティウスは乱心して死んでしまいます。
そしてクレメンスが教皇になりますが-
1309教皇庁のアヴィニョンへの移転(教皇のバビロン捕囚
まさに、激動、と。

教皇庁はその後戻りますが、アヴィニヨンとローマで対立、何人も教皇が立っちゃったりして
ここにおいては中世の基本的な政治体制が崩れてしまうことがお分かりいただけるかと思います。

じゃあ鐘が鳴ってしまったので、あとはまた-

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