2011年11月30日水曜日

近世史との対話-8 ルネサンスにおける人間観

4 江川 151教室
(補講のお知らせ―1227日(火)2限目)

1週間空きましたので、復習と前回の話残しをひとつ

・ルネサンスの舞台(復習)

中世西ヨーロッパ(ラテン文化圏)・ローマカトリック教会体制
においては古代ギリシア文化(当然ギリシア文化)はどのように摂取されていったか。
ラテン語化されて導入されていた。(スコラ学におけるアリストテレスなど)

ルネサンス期になると古代ギリシア文化が直接導入されるようになる。

・ここが大きな違い。

この背景にあったのは-
オスマン・トルコが中世末期に台頭
西進してビザンツ帝国の危機⇒西ヨーロッパに救援を要請
そのためにビザンツ使節団がくる。

・このビザンツ使節団がポイントでしたね。

ここで来たのがビザンツの学者達。
前回お話したのがクリュソロラス1355年~1415年)
こうした政治的状況が地中海を揺るがす中でビザンツの学者がやってくることで、
古典ギリシア語を教授する。

ペトラルカやボッカッチョら人文主義者の関心は古典古代文化だったよね。
古代ギリシアのものはラテン語化されたものしか触れられなかったところに
古典ギリシア語を教えてくれる人がやってきた。
これを積極的に摂取していくことになる。

ゲミストゥス1438年の使節団)
(新プラトン主義哲学者)
このような世界の見方がルネサンス人に大きな影響を与える。
この人が使節団で来たときに、政治的な使命をもってやってくるだけでも大変なことだが

この人がプラトンについての講義がフィレンツェで行われる。
・ここでプラトンがイタリアに入ってくるというのは重要。

ここでプラトンから非常に大きな影響を受けたのは
(当時のフィレンツェを牛耳っていたメディチ家の)
コジモ・デ・メディチ-当時のフィレンツェの最高権力者(フィレンツェの父)
この人が聴講をしていて大変感銘を受けた。

コジモはプラトンがアカデメイアを作ったのにならって
プラトン学院(1449)をつくる。
ここがルネサンスの思想界の中心となっていく

で、オスマントルコによって
1453、ビザンツ帝国は滅亡してしまうことになり-(中世の終りともみなされる)
これはヨーロッパの歴史の転換点でありますが、
こうなると、イタリアには、ビザンツからの亡命者が押し寄せてくることになる
人も来るし、ギリシャ語写本もさらにくる、と。
(イタリア商人もコンスタンティノープルへ)

ということで、
ここでお伝えしたかったのは
・ルネサンスの発展は西ヨーロッパだけに限っては考えられない。

ここまでで、ひとつ中世末期、地中海世界のお話を区切らせていただきたいと思います。


そうしましたらいよいよ
これまでルネサンス開花の前提について話をしていきましたが、
ルネサンスとはそもそも何か、という。
ルネサンス精神について考えて行きたいと思います。

*レジュメ・資料2枚配布

世界と人間の発見~ルネサンスにおける人間像と世界観の転換~

ブルクハルト(18181897)⇒ルネサンスとは世界と人間の発見の時代

具体的に、ルネサンス人が世界・人間を
どのようにこれまでとは違った捉え方で見ていたか、を考えていきたい。

1.ルネサンスにおける人間観:ルネサンスにおける「個人」の発展とは

ブルクハルト-個人主義の発展
個人主義、いろいろあるが、
共通していえるのは「私」という個人が中心になって考えられると。
これは具体的にどういうことか、ということが問題になりますね。

まず、ルネサンス人は個人をどうとらえたのか。

ブルクハルトはこの点について、
中世では、自己を種族、国民、党派、団体、家族としてのみ、
あるいはその他何らかの一般的な形を通して認識していた。」と言っている。

つまり、常に何らかの集団の一員として捉えていた。
しかし、ルネサンスにおいてはこのベールが風の奥に吹き払われ、
人間が精神的な個人となり、人間が個人として認識されるようになった
(ルネサンスの「個人の発展」の章)

ルネサンス人が自分を個人としてとらえるようになってきた、と。
それはどのようなものだったのか。

ペトラルカを思い出してみてください。
彼においては、人間とは、ということよりも
自分自身を知るということへの意識が芽生えていた。

じゃあそれが本格的なルネサンス期にどのようにして知ろうとするのか
また、何故知ろうとするのか、これが問題になってきますね。

そこで、自分についての認識をルネサンス人はどのようにして行うか

1)「自己」・「私」の認識による人間探求:観察と描写による認識

自分というものから人間を探求するのはペトラルカの精神でもありましたが、
ルネサンス人と言うのはちょっとやり方をかえてきます。

例えば、みなさん自分とは何かと探求する際にどういった方法をとりますか?
哲学的な探求、「考える」ということはありますよね。論理的に考えていく。
また、現代でも行われているような、自分をじっくりと見つめる、表現するということの
絵や文章によるかたち。
→観察と描写
これによってルネサンス人は自分をみつめた。

ブルクハルト言うところの「発見」
それは観察して見出されていく、と。

さぁ、じゃあ観察と描写がどのようにしてルネサンス人が自己観察をしたか。
これは今の私たちにも違和感がないような方法かと思いますが

a)自伝による自己観察

実はルネサンスというのは自伝が大流行した時代なんですよね。
主流となった文学スタイル。

自伝とはなにか?
「私」を主語にして、個人の経験が語られること。
(ブログとかね、自分のことを語ろうとすることについて
私は「どうして?」と思ってしまうのですが。)

ルネサンス人の場合は「自分が何ものなのか」という
自己省察にたいする意識があった。
これはアウグスティヌスの「告白」のようなスタイル。
これはキリスト教者としての枠組みのもとで

ペトラルカも自分自身を知ることがテーマの人ですから、主体としての「I」がある。
「後世の人に」という著書、未完成ですが自叙伝を書いています。晩年に。
そういう風にして、ルネサンスに関わりがある人は自分のことについて語っている。

ルネサンス期になると、そういったスタイルがより一般的になる。
統計によりますと、フィレンツェで、発見されている日記の類は100点ほどが現存している。
(日記、日誌、回想録を含んだ上での自伝というカテゴリー)
ですのでルネサンス期に主流となった特徴的な文学スタイルということになります。

ルネサンス人はどうして自伝を書こうと思ったのか。
そこで、今日ご紹介したいのが(私はこの人が好きです!)
ジェロラモ・カルダーノ15011576)(『カルダーノ自伝』)
この人は百科全書的奇人といわれたりもする。(数学、哲学、占星術、賭博)


彼は非常にルネサンス人らしいひと
全ての分野で卓越した才能を発揮し、またそれらが統合されている
その自伝のおもしろさ、としては
「恥ずかしながら」ということを赤裸々に描いているところ。
また自分のことを非常に客観的に描いている

(足が甲高で靴選びに苦労するという話、
 禿が好きな女性もいます、の話
 しばらく自伝拾い読みがあって―)

カルダーノが自伝を執筆した動機は⇒「真理への愛
「真実の知識を得ることほど、人間が学ぶあらゆる事がらで素晴らしいものはない」
と言っています。
すなわちこれは真理への愛である、と。
彼自身は「作為的ではなく、赤裸々に書いている」と自ら言っている。

これは、自己観察による人間の探求(真実の探求)
自分を徹底的に観察することで人間を表現する
面白いのは自伝の構成で、
時系列順ではなく、トピック別に書いている。

ルネサンス人の人間の描き方、自己観察の仕方として-
良いところばかり見ている訳ではない。長所も短所もあるよ、と。
善悪を含んだ人間(人生)のあり様

b)肖像画と自画像

このようなジャンルが出てくるのもルネサンス期のこと
肖像画というのは、ある個人の姿を描いた絵。
これは依頼を受けて描かれることが多かった。

それまでは、キリスト教の聖人などが描かれることはあったが
いわゆる普通の人が描かれるのはルネサンス以降のこと。
このような依頼が生まれるというのは、個人の意識の高まり-

ラファエロ「アテネの学堂」

・自画像
自分自身を題材にする。
自己を観察・描写の対象としている。

2011年11月28日月曜日

人間・いのち・世界Ⅱ-10 戦争と平和2

*今朝は学校に830着 
 明日の勉強会の「多文化間カウンセリングの物語 (ナラティブ)」読書

(先週の「戦争と平和」つづき)
前回は国家の問題で大半を費やしてしまいましたが。

聖書に見られる国家についての二つの考え方。
・神様のつくられた「秩序」
そこに従順にしたがうべきだというパウロの言葉、ロマ書の13
もうひとつは
・国家の持つ権力、その悪魔的な力
黙示録の13
(どちらも13章なのでおぼえやすいと思いますが)
その二重性ということについて学びました。

王が立てられることが神様の意思に沿うことだという事と
それに反することだという見方がサムエル記に記されている、と。

つまり、キリスト教信仰の中では「国家を絶対視しない」
という考え方があるということをご理解いただけたかと。

しかし実際にはどうなのか。
前の戦争(第二次世界大戦)の時に
どのようにキリスト教信仰が働いたのか、にはよく注意をしておかなければならない。
日本が戦争に突入していくという中で-

日本の西洋列強に対してキャッチアップしようという動き

殖産興業、富国強兵、アジアへの進出、天皇制の拡大
1910年に朝鮮併合、満州への勢力拡大、思想統制、一億総戦争体制
国家の思想に反するものに対しての弾圧。義務の強化。愛国心、忠誠心の要請

(どこぞの地方自治体できな臭い動きがしていますが―
 まぁ改革をしたいと言う気持ちはわかりますが、注意が必要だと思います)
*昨日は大阪のW選挙投票日。橋下徹新大阪市長、松井一郎新大阪知事
  
その時、日本のキリスト教界はどうしていたのだろうか。
そうした時に、国家に対するチェック機能を果たしえたのだろうか。
結果からいうと、ほとんど無力だった

その時に宗教の教団はある程度の大きなまとまりにならなければならないということで
プロテスタント系の教団は1941日本基督教団」にまとめられました。
見事な思想統制という事も出来ます。

それまでのキリスト教は、国家に認められていないという思いがありましたので、
仏教、神道と並んでキリスト教も国家をつくる力となり得るという
「認められたという喜び」の雰囲気があった。
それまでは敵国アメリカの宗教という見方や、
外国人宣教師は送還されたりという事もあったので。

実際、日本のプロテスタント教会は
明治に宣教が認められるようになってから、
教派の存在についての対立があった。
横浜の日本キリスト公会は特に、まとまり、一つであるということを重んじる考え方。
そのような視点からすると、
日本基督教団は1941年までのプロテスタントの悲願だったという言い方も出来る。

同時に反対の動きもあったのですけれども
それぞれの教会はミッション団体-欧米のバックボーンを持っていましたのでね。
一つです、となったはいいが、元の教会との関係はどうなりますか、という。
また、各教会における信仰のあり方の特徴、強調点の異なりがある。
そうした異なる物が本当に一つになれるのか、と。

ルーテル教会もこうして一つにはなっていったのですが、
そこで問題になったのは「信仰告白」の問題。
ここに信仰の筋道があって、他の教会とは違いがあるのだから、と。
大きな枠組みとして一致することはできるが、
そこに「部制」を敷いてほしいということを最後まで主張したが、それは覆されてしまう。

現実にはそうやって、ひとつの統制がなされる中で
さらに戦争への協力体制ということに傾いていく。

特に、朝鮮の教会に対して、日本の教会から手紙が。
天皇制のもとにある国家神道の儀礼、それには日本のキリスト教会も従っている、
これは儀礼であり宗教ではないから、韓国のキリスト者もそれに従ってください、
という奨励の手紙。
要するに、日本キリスト教団は国家の思想統制の中に取り込まれてしまったということになる。

個々の信徒の人がその中でどうしていたのか、というのはまた別の事です。
個々に体制に反対して捕らえられるということもありました。

戦後はこのことに対して
日本基督教団の「戦責の告白」に対する議論がありましたが
教団としての告白ではなく、教団の議長名の告白ということになりました。
また、基督教団から再び分かれていくことも戦後すぐに起こりました。

ルーテル教団が一番大きくその問題に向かい合ったのは1993年。
宣教100年の文書の中で(この時大きな役割を果たしたのは江藤直純先生ですが)
これは難しかったですねぇ。
戦争の時の牧師先生を批判することへのためらいが働いていたので
なかなか戦争責任の告白に対する言葉遣いには随分…気を遣った覚えがあります。

実際に政治的な問題と結びついている事ですので
天皇制に対するスタンスも年代によって全然違います。
どういう表現を教会として使うのか、ということで議論が行われました。
まぁ結果は「常識的な」というところに(=踏み込みきれない)収まっていったのですが。
人間の集団としての教団の限界、ということがどうしても起こってくる。

ドイツについて
ここではヒトラー政権が成立していく中で
ドイツ的キリスト者という、思想統制のもとに教会も置かれる。
国家全体がそうした動きの中に取り込まれていくという状況がありましたので。
1933にヒトラーが宰相になりナチスが政権につきます
同じ年にアーリア条項-ユダヤ人の公職からの除外
段々とユダヤ人の迫害の動きが強まっていく。排除の動き。
それから、共産主義を弾圧し-
そういう統制の中に教会も取り込まれていく。

それに対して、反対の動きが生まれてきます。
その反対の動きの中で大事なのは、
ディートリッヒ・ボンヘッファーマルティン・ニーメラーという牧師
ドイツの「告白教会」というものが生まれます。
この告白教会は、こうした国家の統制力が教会にまで及ぶことに対して
教会の自由への侵害という認識をし、抵抗運動を広げていく。

ドイツ告白教会において出されるのが、
1934年のバルメン宣言
カール・バルトがここに大きな影響を及ぼしています。
これはあくまでも教会の信仰告白文書です。
【辞書―バルメン宣言 Barmen theologische Erklarung
1934529日~30日、ルールのバルメンにおけるドイツ福音主義教会の
1回信仰告白教会会議で採用された宣言。
正式には「ドイツ福音主義教会の現状に対する神学的宣言

33年以後のナチス政権下の
教会の全体主義化に追従したドイツ・キリスト者に対し抵抗を表明

宗教改革の諸心情に基づいて告白したもの。 
K.バルトの草案により、6か条から成る。

自然神学による神認識を否定し、キリストの王権、教会の秩序の独自性
政治的支配からの教会の独立を主張。
教会と国家の使命について述べ、専制政治に反対した内容である。
その後この宣言に基づいてヒトラーに抵抗する告白教会の全国組織がつくられた
この第1条でいわれるのは
ドイツ福音主義教会の侵すべからざる基礎は-イエスキリストの福音に立つ
ということ、一切の事がらはイエスキリストにあるということを言っている。
これはだから信仰告白なんですよ。これ以外にありませんという事。
なので、これだけ読んでもナチス政権に反対するという風には見えない。
しかし、これを言う事による国家の統制への反対というメッセージ。
これ以外に重要と受け止めなければならないことは、無い、と。
ヒトラーがなにを言うにせよ、と。

しかしこれによって多くのキリスト者が捕らえられ、
運動は地下運動になるということになる。

戦後においては、
戦争の責任の告白ということについて
ニーメラーは(抵抗の運動をしていたにもかかわらず)
「これは自分の責任だ」と。
「十分には責任を果たすことが出来なかった」という表現にさえも抵抗し
深い責任告白を表すということがありました。

なので-
キリスト教の信仰の中には国家に対するチェック機能があるのだ、と言ってみても
現実としてはなかなか難しい、と。
また、戦争への抵抗についてはキリスト教界だけがなしえるという事ではない。
しかし、信仰の筋道として、そういう視点があるということは捉えておく必要があるし、
信仰者としてそれにどう責任を負うのか、という問題があります。

ここまで、先週の続きでした。

さて、少し戦争ということで考えてきましたが
聖書の中に「戦争」ということについて、どういう考えがあるのかを改めて問うてみると
これはなかなか難しいです。
聖書が非戦主義か、全然そんな事は無いですからね。
先週も言いましたが、神様は「万軍の主」と言われたわけですから。
万軍=全ての軍隊の、ということ。
カナンの啓示においては、
先住の民との戦いにおいて、一方に加担する神ということでもある。
だから、厄介ですよねこれは。

これは歴史の中での民族宗教としての、ユダヤ教徒しての実際の姿ですよね。
(ユダヤ教とキリスト教の切り分け)

しかし、戦いが常に聖書の教えか、というとそうではない。
一番大きな預言書である、
イザヤ書24節(ここは大事です)
・終末の平和
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣は打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。
これは非戦ということですね
神の国の実現、終末の時の預言な訳ですが。
戦争が良いことではないのは明らかなことだ、と。
この言葉、イザヤ書の24節はNY国連の定礎に刻まれています。

イザヤ書の中にはメシア預言の中では
繰り返して平和の大切さが語られていきますし
特に平和と結ばれて言われることが「正義・公平

全ての人が神の正義の下に正されていくことが約束されている。
そして、この裏腹の関係として、悪への裁きがなされる、と。
平和になるためという事での、悪への厳しい裁きが当然語られると。

このことが、単純に考えられると-
これはユダヤ教の神様ですから、ユダヤ人が絶対だ、
ユダヤ人の都合の良いような正義が通れば万々歳ということになりかねない。
また、実際に多くのユダヤの人の考えとしてこういうことがあった。

しかし預言者達においては逆でした。
預言者が神の言葉を語るということは、
そうしたユダヤ人の罪を告発し、
ユダヤ人に対する裁きとして国を失う、バビロンに連れて行かれる
これはつまり、神に背いたからだ、と。

これはユダヤの民族宗教だから彼らに都合の良いようになっているかと思いがちですが、
それは天皇万歳というようなことではなくて。
預言者宗教と言うのは、ユダヤの王国のあり方に対して批判の言葉になっていく。
「王様、あなたが神の御心にそっていないから、こういうことになっていく」と。
これはユダヤ教のひとつのユニークさかもしれないですね。

もちろんユダヤ教の指導者の中には、御用学者のような人たちもいるわけです。
都合の良いことをたくさんいう。
でも、それではダメだよということを言う預言者の言葉がむしろ大事に残されてきた
これはユダヤ教信仰の中での歴史の見方、です。なかなか興味深い事ですね。

前回もご紹介しましたが
アモス書9
ここには、全世界の神ということで、
ユダヤ人だけが特別ではないという、ことが書かれていて
それは同時にユダヤ人に対する罪を問題にしているということ。

■【復習-旧約入門100618】■■■■■■■■■■■■■■
 アモス-キャッチフレーズとすれば「正義の預言者」
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

こうしたことがユダヤ教の中での民族宗教であるにもかかわらず
自分たちのあり方に対する批判的な視点、という特徴が見られます。

○平和

戦争に対する反対概念と思われるかもしれませんが-
「平和」という言葉。
しかし単に戦争がない事が平和ではありません。この言葉には注意が必要です。
ヘブライ語では「シャローム」と言います。

シャロームという語はユダヤの人びとにとっての挨拶でもあります。
こんにちわ、というようなことですね。

*そういや初めてピースサインの「ピース」の意味を知ったときは驚いたな。
なんで写真を撮るときに「平和」なんだか

このシャロームの意味には「欠けた所がない」ということ「完全」ということです。
ですので、単に戦争がないという事ではない。
共同体が満たされている、ということ、
もちろん豊かな食べ物、健康が守られ繁栄している、
そこで生きている人のこころが安らかで相互に調和が見られ、
全体が生き生きとしている、力に満ちてい
もちろん正義や公正が実現し、安全で繁栄している
というような状態がシャローム。

○エレミア書61314
エレミヤの預言の中で平和について語る中に-
身分の低い者から高い者に至るまで
皆、利をむさぼり
預言者から祭司に至るまで皆、欺く。
彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して
平和がないのに、『平和、平和』と言う。
■【復習-旧約入門100625】■■■■■■■■■■■■■■
 エレミヤ-キャッチフレーズとすれば「涙の預言者」
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


身分の高いものも低いものも、
自分の利益ばかりをもとめて不義が横行している
そういうところに平和はない、と。
預言者たちは本当の平和は神様によって終末の時にもたらされるもの
それを待たなくてはならないし、
そこに行くまでの厳しい裁きということを語ります。

そうした平和ということを、将来、約束された未来ということにそれを見ている。
それと同時に、本来人間が創造された状態、エデンに生きていたとき
そこには、原初においては平和な状態があっただろうと考えられている。

*じゃあ「平和」ってのは意識的に目指すべきところではない、というようなことなのか

ですので、この原初と将来の間においては
平和というものは、一時的、限定的なものしか見ることはできません。

*「できません」って言い切るんだ!

民族宗教であるユダヤ教の平和はおそらくユダヤの国の平和という事であったでしょう
第一義的に。
しかしそれに対するチェックが預言者の言葉として起こりますし
世界全体に対する主ということへの理解が深まるうちに
自分たちの地域という限定的な平和という思想を乗り越えていく道筋が見出されていく、と。
その部分には旧約の限界という問題がある。

しかし新約になると、
キリスト教の信仰そのものが、民族宗教を脱して

世界に対する新しい信仰の展開ということになるわけですから
そこではユダヤの問題性というのは、
より大きな問題の中で考えられるようになっていきます。

新約聖書、ギリシア語では「エイレーネー」という語が用いられます。(平和)
ここでは3つの視点があります。
①神との平和
②人間相互の平和
③人間の内面的な平和(魂の平和)
これは相互に区別される問題ではありません。結びついている。
エイレーネーという語の用いられ方を見ていくとこの3つがみられると

○エフェソの信徒への手紙21417節(354P
・キリストにおいて一つとなる
実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分においてひとりの新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなた方にも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。

実際には、ここには人間相互の問題が含めて語られているが、
その隔ての壁を打ち破ることが、「神との和解」の重要な要素だ、と。
人間のありようが正されていく、という事ですよね。
神との間の和解、ということが言われている。

「キリストが私たちの平和である」=神との間に和解が成り立っている。
これがひとつポイントです。

○ロマ書1417
・兄弟を罪に誘ってはならない
神の国は飲み食いではなく、聖霊によって与えられた義と平和と喜びなのです。
このようにしてキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます。
だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。

この平和ということは「人間相互の間にある平和」ということ。

3つ目の魂の平和という事で言うと
○フィリピ46
どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。
何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、
求めているものを神に打ち明けなさい。
そうすれば、あらゆる人知を越える神の平和が、
あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。

これは説教の終りのところの祝福の言葉として用いられています。
「神の平和」があなた方の心と平和を、キリスト・イエスにおいて守る。
ここでは、神との間の平和、人間相互の間の平和と同時に
その人の魂においても平安を、ということがここでの大事な視点で-

○二元論の克服

大事だと思うことは、エフェソ21417
個々には互いにあい対立するものの「敵意を滅ぼす」という言い方。
神に対する敵意がなくなると、人間相互の間の敵意もなくなる、
敵と味方、善と悪、という隔ての壁が打ち破られるということを言っているんです。
これはいわゆる二元論的な見方の否定、ですね。
「敵意を滅ぼす」ということですから。
こっちが正しい、あっちが間違っている、ということではない。
そのような状況には終りがもたらされるということです。

例えばイエスの言葉の中、山上の説教では
○マタイ543
「あなたがたも聞いているとおり、
『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである。


*これって、虐待を受けている子どもはまさにこれを実践しているように
無意識での行為ということになると、すごく自分を傷つける事になってしまう。
しかし、「敵」を「敵」として認識することの中で
「敵を愛そう、その者ために祈ろう」ということになって
はじめて意義があることなんだろうな
そう考えれば、この教えは
「敵」があることを否定はできないというのが前提ではないだろうか。

いや、まぁ実際には敵が無いなんてことは無いんだけど、
終末においてということであれ「敵意を滅ぼす」ということよりも
自分の中の「敵意」との折り合いを付けられるという意味で、
この山上の説教の方がより治療的と考えられる。

しかし、「敵意が滅ぼされる」ということを望みつつ
「敵を愛する」って一体どういうことなんだ?

これは訳わかんないですよね。「敵」ですから。
しかしそうした区別を乗り越えていく。
何でも言いという事ではないですが、
敵とされるものを愛するといことですから、二元論的な見方の克服
それが山上の教えの中で言われること

善と悪を乗り越えていくという始点。
こういう視点はすごく大事ですね。
憎しみには憎しみを、
暴力には暴力をという構図では決して平和は実現しない

だから、ある国の大統領が-(*W.ブッシュのこと)
戦争に踏み切っていくということがありましたね。
その当初からキリスト教会のある人たちは強く反対していました。
ある人たち、です。
しかし、ナショナリズムになびくというのは教会でも一緒です。

僕はあの時、アメリカにいましたから辛かったですねぇ
パールハーバー以来の屈辱だ、と

ですから「平和」を考えるときに、旧約の伝統としても新約としても
戦争が無くなるという事だけでなしに
人間の根本的な問題、つまり神様から離れているという罪の問題への深い理解
それへの解決がもたらされること
また人間相互の間の敵意が滅ぼされること
そういうことも含めて、私たち自身の魂の平和
それらが総合的に考えられることで
完全というシャロームがエイレーネーが実現することが望まれている、と言ってよい。