2011年9月16日金曜日

【本】『見える暗闇-狂気についての回想』

ウィリアム・スタイロン=著 大浦暁生=訳 新潮社(1992
DARKNESS VISIBLE by William Styron  (1990)



・本書は19895月、ボルティモアで開催されたジョンズ・ホプキンズ大学医学部精神医学科主催の「感情障害に関するシンポジウム」で行った講演を端緒とする。講演原稿は大きく書き足されてエッセイになり、その年12月に『ヴァニティ・フェア』誌に発表された。

見える暗闇

大いに恐れていたものが、
身にふりかかってきた。
こわがっていたものが、
わが身にやってきた。
安全も休息もなく、
平静もなかった。
ただ苦難だけが来た。
(ヨブ記)

・(書き出し)パリで、198510月末のある寒い日の宵、わたしは精神の不調とのたたかい(ここ数ヶ月間たずさわってきたたたかい)が地名的な結果をもたらすかもしれない、と初めて完全に意識下。その啓示の瞬間は、乗っていた車がシャンゼリゼからさほど遠くないアメにすべる街路をくだってゆき、「ホテルワシントン」と読めるにぶく輝くネオンサインのそばを通り過ぎたときにやってきた。このまえにそのホテルを見たのは35年近く前、1952年の春で、パリで始めてのねぐらとして過ごした。

P27・このような(うつ病に対する)無理解はふつう共感の欠如によるものではなく、健康な人びとが日常経験とあまりに異質なこの苦痛の形を、基本的に想像できないことによる。わたし自身にとっては、この苦痛は水におぼれることや喉をしめつけられることともっとも密接に結びついているが、この連想ですら的外れだ。長年のあいだ鬱病とたたかったウィリアム・ジェイムズは適切な描写をさがすのをあきらめ、『宗教的経験の諸相』を書いた時、描写が不可能に近いことをこう暗示している。「それは絶対的で活動的な苦痛だ。通常の生活にはまったくわからない一種の精神的神経痛だ」

P36・この事件(*カミュに死をもたらした自動車事故)の推理には、カミュの著作に見られる自殺のテーマを振り返ってみることが避けられないだろう。今世紀のもっとも有名な知的発言の一つが『シジフォスの神話』の冒頭にある。「真に重大な哲学的問題はただひとつしかない。それは自殺の問題だ。人生に生きる価値があるかないかを判断することは、哲学の基本的問題に答えることになる」初めてこれを読んだ時わたしは当惑して、そのエッセイを読み進めながらほとんどそのことばかり考えていた。

P58・(Ⅳ書き出し)この病気で気分が落ち込むのを初めて意識した時、わたしは何にもまして、鬱病を表す「ディプレッション」(depressionという語に強い反対の意志を示す必要があると感じた。ほとんどだれもが知っているように、鬱病は以前は「メランコリア」(melancholiaと呼ばれていたが、「メランコリア」は早くも1303年に英語に登場し、チョーサーにも一度ならず顔を出している。チョーサーはその語の病理学的なニュアンスをよく承知しながら使っていたようだ。「メランコリア」はいまでもその病気の暗黒の形態をうまく暗示するはるかに適切な単語と思われるが、経済の不況や地面のわだちにも無差別に使われる、荘厳な存在感を欠く平凡な音調の名詞に場を奪われてしまった。このように重要な病気をあらわすには、ほんとうに力の弱いことばなのだ。現代にその語を普及させたのは概して科学者に責任があるといえよう。ジョンズ・ホプキンズ大学医学部教授でその道の権威者、スイス生まれの精神医学者アドルフ・マイヤーは、英語の繊細優美な音のリズムを理解する耳がなかった。だから、こうした荒れ狂う恐ろしい病気を言い表す名詞として「ディプレッション」を提示し、そのために与えた意味論上の損害に気づかなかった。
(略)
 極度に激烈な形でその病気に苦しんだものの、また戻ってきて体験談を語っているわたしとしては、ほんとうに人の心をつかむ名称を広める運動に乗り出したい気持ちだ。たとえば精神錯乱を意味する「ブレインストーム」(brain-storm)という単語は、いくぶんおどけたニュアンスで知的な霊感を表す意味を不幸にもあらかじめ持っている。しかし、この語の線に沿って精神状態を表現することも必要なのだ。人の感情の障害が高まって「ストーム」、つまり脳の中でほんとうに吼え叫ぶあらしのじょうたいになったと言われれば(実際、現実の鬱病はまさしくこういった状態に近いが)、どんなに無知な一般人でも「ディプレッション」がよびおこす標準的な反応よりもむしろ同情の気持ちを示して、「それがどうした」とか「きっと回復するよ」とか「みんなひどい気分の時があるんだから」とかいった励ましのことばをかけるだろう。神経の崩壊を意味する「ナーヴァス・ブレイクダウン」(nervous breakdown)という連語は問題解決を探る道の途中にあると思われるし、背骨がなんとなく失われたような気持ちを暗示するからたしかにそれに値することばだが、もっとしっかりしたいい名称が創造されるまでは、わたしたちはまだ「ディプレッション」を背負わされたままの運命にあるらしい。

P65・問題はその夏の初めごろ、アルコールに裏切られたことだ。それはまったく突然、ほとんど一夜のうちに襲ってきた。もう一滴も飲めなくなったのだ。まるで肉体が精神とともに抗議のため立ち上がり、長いあいだ歓迎もし、もしかしておそらく必要にもなっていた毎日のこの気分回復を、共謀して拒否したかのようだった。(略)心を慰めてくれたその友人は、真の友がするようにいやいやながら少しずつ見放したのではなく、一発で撃ち殺すようにわたしを棄てた。わたしは興奮したままアルコール抜きで、どうしていいかわからなかった。

 自分の意志で、或いは自ら選んで、禁酒家になったわけではない。その状況はわたしには困惑だったが、また心を傷つけるものでもあった。酒が飲めなくなったときから鬱病状態が始まった、とわたしは考えている

(略)
だれもが知っているように、アルコールには大きな意気消沈効果がある。けれども、酒を飲んでいるあいだは実際にそれで気分が沈みこんだことは決してなく、かえって不安感に対する楯として働いていた。長い間魔物を追い詰めていた大きな盟友が突然姿を消し、その魔物たちが潜在意識の中に群がってくるのをもう防げなくなったのだ。わたしは情緒的に身をはがれ、これほど傷つきやすい姿になったことはなかった。長年にわたって鬱病が身辺を飛びまわり、襲いかかろうと待ち構えていたことは疑いない。雲に反射する淡い稲光のかろうじて知覚できるかすかな光にも似た前触れとはいえ、いまやわたしは鬱病の黒いあらしの第一段階にあった。

P74・先代から受け継いだ数多くの苦悩という鋸の歯先を鈍らせたい現代人の気持ちはおそらく理解できるものだが、その必要から現代人は耳に障る古風なことばを追放してしまった。マッドハウス(精神病院)、アサイラム(精神療養所)、インサニティ(精神異常)、メランコリア(憂鬱症)、ルーナティック(狂人)、マッドネス(狂気)などのことばだ。しかし、鬱病の極端な形が狂気だということを疑わせてはならない。狂気は異常な生化学的過程の結果として起こる

P87(うつ病の起源として)たしかに一つの心理的要素だけは妥当な疑問の余地もなく認められている。それは「喪失」の概念だ。あらゆる形で表れる喪失は、病気の進行の点でも、またきっとその起源の点でも、鬱病の試金石なのだ。もっとあとになって、幼少時代の破壊的な喪失がおそらく障害の主要な起源だろうといわれれば、わたしはしだいに納得することになろう。当面は自分の退化する状況を点検してみて、あらゆる面で喪失があるのを感じた。自尊心の喪失は良く知られている症候だが、わたしも自我の意識が自己への信頼ともどもほとんど消えうせていた。この自立の喪失は依頼心へと急速に堕落することが可能で、依頼心から幼児的な恐怖心へと進む。近くて親しいすべての人とすべての物の喪失を恐れるのだ。棄てられることに対する鋭い恐怖がある。一瞬でも家の中にただひとりいると、急激な突発的恐怖と戦慄を感じる。

P113・ある人びとに効果的だとわかった考え方の名誉を傷つける気は決してない。しかしグループ療法はわたしには心がいらだつだけで、なんの効果もなかった。たぶん、不愉快にとりすました若いヘボ医者が指導していたからだろう。この男はスペードの形をした黒い顎鬚を生やし(若きフロイトか?)患者たちが陥ったみじめな状態の種を吐き出させようとして、交互におだてたりおどしたりする。キモノふうの部屋着をつけ髪にカーラーをまいた孤独な女性患者たちを一人二人泣かせてしまうこともときにはあったが、この男はそれできっと満足している。(病院のほかの精神科医たちは如才なさや思いやりの点で模範的と思われた)病院では時間は重くよどんでいる。グループ療法のためにわたしが言えるのは、せいぜいそれが時間つぶしの一方法だということだ

 芸術療法についても多かれ少なかれ同じことがいえる。これは組織された幼児化だ。わたしがはいったクラスの担当は熱狂的な若い女性だったが、型にはまった微笑を飽きもせずうかべ、「精神障害者に対する芸術教授法」の授業を解説している学校で訓練されたのは明らかだった。ごく幼い知能遅進児の教師でも、思慮ある指示を与えもしないでこんなオーケストラ伴奏つきのクスクス笑いやクックッ笑いをふりまく必要はなかっただろう。長く巻いたつるつるの壁紙を広げて、この女の先生は患者の生徒たちに、クレヨンを出して自分で選んだテーマを表す絵をかくように言う。たとえば「わたしの家」だ。屈辱的な怒りをおぼえながらわたしは指示に従って四角形をかき、それにドアと四つのやぶにらみな窓をいれ、上に煙突をつけてくるくると渦巻く煙を出させた。先生はほめ言葉を浴びせ、何週間かして健康が向上してくると、わたしの喜劇精神もまた向上してきた。造型用の色粘土を幸福そうにいじくりはじめ、まず、歯をむき出した緑色の恐ろしい小さなしゃれこうべを作る。それを見て先生はわたしの鬱病のみごとな複製だと言明した。それからわたしは回復の中間段階をへて、ふっくらしたバラ色の顔に「きょうもお元気で」とほほえみをうかべたケルビム天使のような頭の造型へと進んだ。それがちょうど退院のときと一致したから、この造形物は先生をほんとうに大喜びさせた(わたしはわれしらずこの人が好きになっていた)。先生の話ではそれは回復を象徴的に表すもので、病気に対する芸術療法の勝利を示すいま一つの例にほかならなかったからだ。

P117・(Ⅸ書き出し)どんなに激しい鬱病を経験する人びとでもそのきわめて大多数が生き残り、鬱病にかからなかった人たちと同じく幸福にその後も生きつづける。あとに残るある種の記憶の恐ろしさを別とすれば、急性の鬱病は永久的な傷をわずかしか与えない。一度精神をあらされた者のかなり多数、約半数もの多数がふたたび襲われるという事実には、シジフォス的な苦痛がある。鬱病は再発する傾向があるのだ。しかし大部分の犠牲者はこの再発をも生きぬき、過去の経験を心理的に生かしてこの悪鬼を扱うから前回よりもうまくたたかう場合が多い。非常に重要なことは、鬱病の包囲攻撃に苦しむ人、たぶん初めて苦しむ人たちに、病気が自らの道を走り患者は病気を切り抜けられると話す、いやむしろ納得してもらうことだろう。この説得はつらい仕事だ。溺れている人に向かって岸の安全な場所から「顎をあげて!」と叫ぶのはほとんど侮辱にも等しい。だが何度も何度も実際に示されてきたように、もし激励が執拗に続けられ、支援も同様に精力的で情熱的であれば、危険に陥った人はいつも救うことができる
(略)
 鬱病にかかりはじめたその夏、親友の有名な新聞コラムニストが思い躁鬱病で入院した。秋になってわたしの症状が悪化した時、友人の方は回復し(リチウムの力が大きいがその後の精神療法にもよる)、二人は毎日のように電話で話し合った。友の支えは疲れを知らない貴重なものだった。自殺は「容認できない」と(前は強い自殺志向があったのに)わたしを戒めつづけたのはこの友だったし、入院の予測をそれほど恐ろしい身もひるむものだと思わせなくしたのも、この友だった。その心づかいをわたしはいまも大きな感謝の気持ちで振り返る。わたしに与えていた助けは自分にとっても治療の継続となっていた、と友はのちに語った。ほかならぬこの病気が永遠の友情をはぐくんだわけだ。
*ピア・カウンセリング、Nirvana


P122わたしの病的な状況はごく幼い頃から進行していた、といまは信じている。父からも受け継いだものだったのだ。父は人生の長い期間をこの怪物と戦い、わたしが幼少のころきりもみ状態で気分が落ち込んだあと入院したが、振り返ってみるとわたしの場合に良く似ていた。鬱病に遺伝的な根があることは、いまでは論争の余地もないようだ。しかしいっそう重要な要因は十三歳のとき母が死んだことだと納得している。この心の乱れと幼い悲しみ、思春期中かそれ以前に親の、とくに母親の死亡や失踪に遭遇したことは、ほとんど回復不可能な情緒的大混乱をつくりだすときもあるような傷として、鬱病の文献に繰り返し現れる。危険がとりわけ明白なのは、「不完全な喪」と名づけられたものにその幼少の人物が影響され、悲しみのカタルシスを事実上達成できていない場合だ。その場合はのちのちまで自分自身の中に耐えがたい重荷を背負うことになるが、その重荷には抑圧された悲しみだけでなく怒りと罪悪感が含まれ、自己破壊の潜在的な種となる。

 自殺に関する啓発的な新しい書『約束の地での自己破滅』の中で、精神科医でなく社会史家のハワード・I・クシュナーは「不完全な喪」の理論を説得力ゆたかに主張し、エブラハム・リンカンを例に挙げている。リンカンの熱病的な憂鬱の気分は伝説的だが、青春時代に自殺への心の動揺にしばしば見舞われ、一度ならず自分自身の生命をあやうく奪いそうになったことは、それほどよく知られていない。その行動は九歳のとき母ナンシー・ハンクスが死に、さらにその十年後に姉の死で言い表せない悲しみがいっそうつのったことと、直接に結びついているようだ。努力して自殺の回避に成功したリンカンの記録から洞察力あふれる見方を引き出して、クシュナーはリンカンの場合を幼児の喪失が自己破滅的な行動を促進するという理論の有力な実証とするばかりでなく、幸運にもその同じ行動が当の人物を罪悪感と怒りの問題に取り組ませ、自ら望む死にうちかつ戦略になるという事実をも納得させる事例としている。このような和解行為は不滅への探求と絡み合っているかもしれない。リンカンの場合は小説家の場合と同様、後生に賞賛される仕事をとおして死を征服しようとするのだ。

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