2011年9月28日水曜日

【本】悲しみを忘れないで 

悲しみを忘れないで 
諸富祥彦(もろとみ・よしひこ)=著 WAVE出版(2011)




【著者プロフィール】
1963年福岡県生まれ。明治大学文学部教授。日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会理事。教育学博士。
臨床心理士として多くの現代人の悩み、苦しみ、悲しみに20数年間寄り添い続けてきた。また、「孤独」「むなしさ」「つながり」「気づき」「生きる意味」などをキーワードに著書や講演、ワークショップなどをとして、新たな「生きる地平」を提示している。

●はじめに
P3/「あぁ、誰か、そばにいてほしい・・・」
人間は、大切な誰かとの「たしかなつながり」を求めないではいられない、そんな生き物なのかもしれません。
 この「つながり」の大切さを、私たちに改めて教えてくれたのは、先の大震災でした。

2011311
 あの日ほど、私たちに「誰かとつながっていることの大切さ」「人とのつながりの愛おしさ」を教えてくれた日はないのではないでしょうか。
 実際、私のまわりの若者達の間で「すぐにでも結婚したい」という声が急に増えてきました。
「結婚していて、よかった」
「家族がいて、よかった」
「友達がいて、恋人がいて、本当によかった」
 こんな声をたくさん耳にしました。

 そしてこの「つながり」の大切さと共に、多くの人が思いを寄せたのは、
「人生の予測不可能性(いつ、何が起きて、人生が突然終わってしまうか、わからないこと)」
「人間の無力さ、人生のはかなさ」でしょう。

*結婚したいのと同様の理由で離婚を望む人もいるだろう。

●第2章 簡単な気づきのワーク

P88/
まずは自分の心と身体をリラックスさせることからはじめましょう。
たとえばこんなふうにです。
まず、目をつむって、
鼻からゆーっくり息を吸ってください。

―ひとつ、ふたつ、みっつ―

からだ全体を気持ちよーく、空気で満たします。

静かにやさしく、「私のからだは穏やかさと、やさしさに包まれています」と自分に語りかけましょう。

今度は口からゆーっくり息をはきます。

―ひとつ、ふたつ、みっつ―

自分の中の、イライラも、不安も、ぜーんぶ外に出してしまいましょう。

ハァーッ。

ぜーんぶ、出してしまいましょう。

そして一言、

「もう、私の中には、なぁーんにも、ない」
そう自分にささやきかけましょう。

これをゆっくり5回繰り返しましょう。

お子さんの場合、親御さんが見本を見せながらするといいでしょう。

たとえば、こんなふうに。

親御さんとお子さんとで、片方の手をお腹のうえにおきます。

そうそう。

じゃあ、鼻からゆーっくりと、息を吸いましょう。

息をゆーっくり吸うと、お腹がこんなふうにふくらんでくるよね。

お腹が風船になったつもりで、気持ちよくゆーっくりと、お腹を空気でいっぱいにしよう。

今度は、口からゆーっくりと、息をはいていきましょう。

イライラした気持ちも、悲しい気持ちも、つらい気持ちも、ぜーんぶ、ぜーんぶ外に出してしまいましょう。

息をはいていくと、
お腹がこんなふうに
ぐーっとへこんでくるね。

じゃ、もう一回いっしょにやるよ。

5つ数えるから、
そのあいだ、ゆーっくりゆーっくり息を吸ってー。

そうそう。

それでお腹が、空気でいーっぱいになったら
ちょっとの間、息をとめて、その感じを味わって―

そして今度は、ゆーっくりゆーっくり息をはいて。

自分の中のいやなものを、ぜーんぶぜーんぶ、外に出してしまいましょう。

はい、いいよー。

よくできました!

P102

リラックスできたら、今度は少しステップあっぷ。

「私は、今、この瞬間に、ここにいる」

そんな「今、ここにいる」感覚をつかむ「気づきの呼吸法」をやってみましょう。

息をゆーっくりと吸いながら、自分が今、息を吸っていることに意識を向けていきましょう

ただ息を吸うのでなく、

「私は息を吸っている」

そんな気づきを保ちながら息をゆーっくり吸いましょう

お腹が空気でいっぱいになったら、少しの間、その感じを味わいましょう。

そして、今度は、ゆーっくりと息をはいていきます。

「ハァーッ」

ゆーっくりと息をはきながら、自分が息をはいていることに意識を向けていきましょう。

ただ息をはくのでなく、

「私は息をはいている」

そんな気づきを保ちながら、ゆーっくりと息をはいていきましょう

次に、今、自分を支配している気持ち―「イライラ」でも「悲しみ」でも「不安」でも「憎しみ」や「妬み」「怒り」でもかまいません―その気持ちに意識を向けていきましょう。

たとえば、あなたが、今、誰かに「怒り」を抱いているとしましょう。

怒りは「毒」です。すべてのものに害を与えます。

心の中に「怒り」があれば

何をしても、すべてのものに悪い影響をあたえてしまうでしょう。

そんなとき、この「気づきの呼吸法」をしてみましょう。

できる限りゆーっくりと息を吸っていきます。

鼻から息をゆーっくりと吸いながら、「怒り」が自分の中にあることに意識を向けていきましょう

次に、できる限りゆーっくり口から息をはいていきます。

息をゆーっくりとはきながら、自分の中にある「怒り」をいたわってあげましょう。

そうそう。まるで自分の中にいる「怒りんぼくん」に、「よしよし、そうなんだねー」といたわってあげるようにです

自分の中の「怒り」と、闘わないようにしましょう。

「怒り」と闘うと、「怒り」はますますおおきくなって、あなたを支配するようになってきます。

自分の中の「怒り」をただやさしく、いたわってあげましょう。

まるで、「ヤダーッ」と叫んで怒っている小さな子どもを、やさしくいたわってあげる母親のように

*外在化、認知行動療法、CBT

次に紹介するワークは、

「すべてをただそのまま認める」
姿勢を身につけることで、

自分の中の悲しみや怒りで
「凍り付いてしまった心」を、

溶かしていくワークです。

まず5回くらい、ゆーーーっくり、深呼吸をしましょう。

ふーーーーぅ

はーーーーぁ

ふーーーーぅ

はーーーーぁ

ゆーっくり息をお腹からはいて。

はーーーーーぁ

はききったら、今度は

ゆーっくり吸って。

ふーーーーーぅ

気持ちが落ち着いてきたら

自分のまわりや、自分の内側でおきていることを「ただそのまま、あるがまま」に眺めて、認めていきましょう。

たとえば自分の内側に

「悲しくて、つらくて、たまらない気持ち」

があったら、それに、

「○○○な気持ち、ここにあるんだね

わかったー」

そんなふうにやさしく

自分の内側の気持ちを、ただそのまま、認めてあげましょう。

自分に何かを言い聞かせたり

自分を奮い立たせたりするのをやめて。

「自分の内側」にある悲しい気持ちや

つらい気持ちを

ただそのまま認めてあげましょう。

たとえば、

「悲しくて、悲しくて、たまらない気持ち」

「いろいろなことで疲れてしまって、もう何もしたくない気持ち」

そんな気持ちが自分の中にあることに気づいたら、
その気持ちに対して、

「悲しくて、悲しくて、たまらない気持ち

ここにあるんだね。わかったよ」

「もう、なーんにも、したくない気持ち。

ここにあるんだね。わかったよ」

こんなふうに、自分の内側にある、どんな気持ちに対しても、ただそれをそのまま認めてあげるのです。

(絵をかくこと、からだで表現してみることの説明―「津波遊び」)

P129/不謹慎だと思わないでください。

子どもたちは、自然の知恵として、どうやったら、自分の心の傷を癒すことができるかを知っているのです。

自分の気持ちを遊びを通して表現することで、自分の心の傷を自分で癒やしているのです。

これらの遊びは、子どもが自分で見つけた「トラウマからの解放の遊び」です。

私たち大人も、子どもたちと同じように、からだをつかって自分の気持ちを表現してみましょう。

たとえば「いつも誰かに怒鳴られてばかりで、つらい思いをしている人」は

「ガーーッ」、

叫びながら走り回ってみても
いいでしょう

(略)

もしできると、さらにいいのは、

「つらい気持ちになっている側」にとどまらず、

「自分をつらくさせている何か」に「なってみて」、

その動きをほんの数十秒でいいので、おこなってみることです。

それによって、つらい気持ちから、少しでも距離がとれるようになっていくかもしれません。

そればかりではありません。

「自分をつらくさせている何か」に「なってみる」と、
しばしば、大きな気づきがもたらされます。

たとえば、あなたに今、「大嫌いな人」がいるとします。

その「大嫌いな人」になってみましょう。

話し方や、ポーズや、雰囲気もまねて

しばらくその人を演じてみるのです。

すると、それが、「自分の中にある、自分自身では認めがたい気持ち」を表していることに気づくこともあるかもしれません

あなたの「嫌いな人」は、あなた自身の「影」。

あなたの中にいる。「もう一人のあなた」なのです。


いろいろなワークを紹介させていただきました。

いかがだったでしょうか。

どれも最新の心理学の方法にもとづいたワークです。

何かつらい出来事がおこったとき、苦しみや悲しみでいっぱいになったとき。

あるいはまた、特につらいことはなくても、「何か、人生のヒントがほしいな」そう思われたとき、ここで紹介したワークを、ほんの数分でいいので、やってみてください。

ただ気持ちが落ち着いてくるばかりでなく、思いもかけない人生の「気づき」や「学び」、生きる知恵やヒントを得ることができるかもしれません。

*「気づき」っていっぱい書いたなー。これも「マインドフルネス」と関連のある気づきなのか?


●第3章 未来からの問いかけ

P142/どうか、悲しみを忘れないでください。

「前にそんなこともあったよね」

そんなふうに記憶を風化させないでください。

ポートランドのダギー・センターという、子どもの心のケアの施設にうかがったときのことです。

ここでは、両親を亡くした子どもたちの心のケアがおこなわれています。

施設の壁一面に、両親が事故にあった場面が、絵に描かれていました。なかには、阪神大震災で両親を亡くした子どもが描いた絵もありました。

そしてそこに、精神科医エリザベス・キューブラー・ロスさんの次の言葉が記されていました。

「悲しみを忘れないで」

悲しみを、忘れないで

なぜなら、私たちを包んだあの悲しみは、

私たちに多くのことを、教えてくれもしたはずだからです。

大切なものを失ったとき、人は大きな悲しみに包まれています。

その悲しみをごまかしてはいけません。

悲しみには意味があります。

悲しみをじゅうぶんに悲しみ、誰かと分かち合うことが大切です。

そして、その悲しみを時間の経過に任せて、決して風化させないでください。

「悲しみを忘れないで」。

悲しみを忘れずにいること、悲しみを風化させずにいることで、私たちは悲しい出来事が気づかせてくれた、「人生の大切なこと」を胸にとどめておくことができるはずです。

たとえば、多くの方が亡くなっていくシーンを見てこんなことを考えた方もおられるかもしれません。

なぜ、あの方たちが亡くなって、私が生きているのだろう。

(略・フランクルの紹介)

収容所生活で生きる希望を見失い、「もう人生には何も期待できない」と自殺を決意しかけた二人の囚人。

この二人にそれぞれフランクルは次のように問いかけたといいます。

(以下引用)

「たしかにあなた方は、人生にもう何も期待できない、と思っているかもしれません。

人生の最後の日がいつ訪れるかもしれないのですから、無理もない話です。ナチスの手でガス室に送られるくらいなら、みずから自分のいのちを断つほうがまだマシだ。

そんなふうに思われたとしても、少しも不思議ではありません。

けれどその一方で、人生の方はまだ、あなた方に期待を捨ててはいないはずです。

あなたを必要とする何かがどこかにあり、あなたを必要としている誰かがどこかにいるはずです。

そしてその何か誰かはあなたに発見されるのを待っているのです」

(ビクトール・フランクル
 『ある心理学者の強制収容所体験』から筆者意訳)

この言葉を聞いて、二人の囚人は自殺をとりやめたといいます。

一人の囚人は外国で自分との再会を待っている娘がいることに、またもう一人の囚人は、ある科学の著作シリーズが自分の手によって完成されるのを「待っている」ことに気づいたからです。

どんなときにも、人生には意味がある。

自分を必要とする「何か」があり、自分を必要とする「誰か」が必ずいる。

*んーーーーーーーーーーーーーーー、「何か」とか「誰か」と言われるよりも、自分には「人生が」というような抽象的なイメージのほうがしっくりくる。何か具体化するほどに、恐怖が生まれてくることを否定できない。

P176/
「いのちが、私している」。

「いのちのはたらき」がまずあって、それがあちらではという形、こちらでは草木という形、あそこではという形をとっている。

その同じ、いのちのはたらきが、今・ここではという形をとっている。

この手の本、ってあまりどうでもよい感じでしか見たことがなかったけど、しかし、この箇所は腑に落ちた。「いのちのはたらき」という言葉が腑に落ちたのかな。それを実感できるような部分が自分の中にも生まれているからなのかもしれないが。
しかしそれを若干恥じる気持ちが自分の中にあることもまた分かる。「なんかかっこわるい」バカのような物言いだが、そういう感覚はたしかにある。でも、ヤマギシでのこととかは、このことで腑に落ちる感覚はあるけれどな。なんでかっこわるいか。

(略)

いのちが、私している。

存在が、私している。

魂が、私している。

空が、私している。

ギリギリのところまで追い詰められた人間が、すべてを投げ出した、その瞬間、いのちのはたらきをのものに目覚める。私も、あなたも、花も、とりも、石ころも、あなたを怒鳴りつけている憎い上司も、そして、あの最愛の彼女を私から奪い去った男さえも・・・

すべてはひとしく、この同じ、一つのいのちのはたらきのとった異なった形にすぎない、ということ。

このことに気づいたとき、

人ははじめてこころから、

「何があっても、だいじょうぶ」

「ただ生きているだけで、それでいい」

そう、いえるのではないでしょうか。

フランクルは言いました。

人間が悲しみにあけくれ、「人生を問う」状態から

「人生からの問いに答える」状態に生き方を転換できなくては、人生に希望は見えてこないのだ、と。

この言葉はまさに、今の私たちに求められている言葉ではないでしょうか。

私たちの国は今「悲しみの共同体」と化しています。

一つの同じ、静かな「祈り」の中に包まれています。

けれどその、静かな悲しみと祈りの中にあって

「この不条理を通して、人生は、いったい何を私たちに問いかけてきているのか」

こんなふうに、

「人生からの問いかけ」「人生からの呼びかけ」をその状況に見出すことができるとき、

私たちは、「未来への一歩」を踏み出すことができる、とフランクルの言葉は教えてくれているのです。

(略・呼びかけはいったいどこからくるのか?)

「未来から」だと私は思います。

*これは、なんというか、「神」という言葉を使わずに「うまいな」とも思う。ハイデガーの講義で話されたことを思い出す。あんまりよく分かっていないけど

「私の未来」から

「私たちの未来」から

「日本の未来」から

「世界の未来」から

「人類の未来」から

「呼びかけられている」のです。

私たちは、

どんなにつらく悲しい状態にあろうと

絶えず、「未来」から、「未来の可能性」から、呼びかけられ、問いかけられている存在なのです。

私たちは「未来から」問いかけを与えられている。

では、何を?

いったい、何がこの私にできるの?

それを知るためには一日に数分でも、あるいは、一週間に数時間でもかまいません。

一人で「静かな時間」を持ちましょう。

一人、静かになって、自分のうちなる声に耳を澄ませましょう。

そして、これまでもずっと送り届けられてきていて、今も届けられている、

「未来からの呼びかけの声」に耳を傾けるのです。

この声は、とても小さなものなので、心の波を静かに穏やかにしていなくては、聴きとることはできません。

それは、沈黙のうちに届けられている静かなる「呼びかけの声(サイレントコーリング」なのです。

*ここも「未来から問われている」という表現どうよう、うまいな、と感じる。
「サイレントコーリング」ね。

私たち一人ひとりには、その人生で満たすべき

隠された使命(見えないミッション)

与えられています。

*フランクルのこの「人生から問われた存在である人間」ということと、ハイデガーの人間の企投性ということは整合性を持って考えられることなのだろうか。

[参考・引用文献]
P88P102のワークは『サイコロジカル・ファーストエイド 実施の手引き第2版』(National Child Traumatic Stress Network, National Center for PTSD)日本語版作成:兵庫県こころのケアセンター)の一部をもとに、諸富が新たに多少の工夫や終生を加えたものです。

P103P110のワークは『抱擁』(ティク・ナット・ハン/高橋宣壽翻訳監修/現文メディア)の一部をもとに、諸富が新たに多少の工夫や修正を加えたものです。

(一部抜粋)
『おじんカウンセラーのトホホ通信』向後善之(日本トランスパーソナル学会HP http://transpersonal.jp
『サイレント・コーリング』高橋佳子/三宝出版
『フランクル心理学入門』諸富祥彦/コスモスライブラリー
『孤独であるためのレッスン』諸富祥彦/NHK出版

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FAX:03-6893-6701

*なんだろう、これ書いている間、浜崎あゆみの「My Story」かけっぱなしだったんだが、この相性良い感じはなんなんだろうな。この曲が響くことと「泣いてもいいんだよ」の間にはなにか関連があるのかな。

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