2011年9月26日月曜日

人間・いのち・世界Ⅱ-2 現代社会と宗教1 (脱宗教化/内面化)

1  石居

*前期のテストが返された

2)現代社会と宗教①

現代社会と宗教の関係については前期にも色々と取上げましたが―
20世紀半ばまでにどんなことが一般的に考えられてきたか、
世界の近代化と脱宗教化の大きな流れ

ディートリッヒ・ボンヘッファー19061945は、
 20世紀前半の牧師、ルター派の神学。
ナチスドイツへの抵抗運動をして、最後は地下運動で捕まってしまって処刑をされますが、
大事な足跡を残した人です。
【辞書】ナチスを批判して説教を禁じられ、非合法の告白教会牧師研修所の長となる。 
1943年ゲシュタポに捕らえられて、1945年に処刑された。

彼は社会の流れが「成人化」する、ということを言っています。
つまり、自立する、宗教から離れていく、という意味。
ここについてはニヒリズムの回でまた改めて詳しく説明します。
まぁともかく、牧師までもが「成人化する社会」というようなことを言うほどに
宗教から離れていく、という方向性。

実際に西欧社会では「近代化」は167世紀から起こった流れは「脱キリスト教世界」という
キリスト教がどうこうでなく、「自分たちの理性によって世界を捉えていく」という流れ。
そうした近代の歩みを見ると、現代社会が宗教から離れることは必然のように思われる。

日本を考えるとどうか。
アジアの中でみごとに近代化を成し遂げた社会ですね。
アジアの中で最も近代化が進んだ世界。
西欧社会の競争の中に入っていき、経済的にも発展をした。
宗教事情もまた興味深いところがあります。

日本の宗教事情で言うと、
宗教人口―
神道はおよそ1700万人、
仏教は9800万人
キリスト教は、200300万人
その他、1000万人

およそこんなふうに言われるんですよ。
最も近代化が進んで、脱宗教の方向で言っているところでの、宗教人口。
足すと―、2億を超えますよねぇ。
人口の2倍近くになっている。
まぁこの勘定には自動的に組み込まれているものがありますが
初詣とか、お祭りですね

日本の中では、神仏習合というシンクレティズム
ま、ともかくこれだけ見ると脱宗教とはいえないが
しかし、主体的には「無宗教です」という人も多いでしょう。
特定の信仰を持たないという意味で。
そこそこのお付き合い、というものはありつつも。

このような特殊なあり方、といえるものは
近代化した脱宗教の、理想像だという人もいます。

では、宗教はいらなくなってきたのか?
いまの日本の宗教、宗教法人として登録されているもの、
主要なものだけでも200300はあります。
キリスト教や仏教というものはこの中には入っていません。
これらの宗派、教派、これも恐ろしいほどの数がありますね。
新興宗教もまた―
決して宗教はなくならない。

1995年のオウムの話(前回もありましたね)
宗教敬遠の流れが強くなった面もありましたが、
宗教は怖い、という感情
しかし「宗教的な求め・ニーズの高まり」もあるのではないか。

ここ数年、佐藤優さんというかたの活躍がありますね。
起訴されてしまった外交官ですが
精力的に神学、宗教関係の著作を出されています。
そうした本が売れているように、宗教への関心は、キリスト教を含め、高まっている。
いま、ブームは圧倒的に仏教ブームですね。書籍関係では。
そうした様子から見ても、脱宗教とは言われつつ実態はどうか、と。

宗教離れ、脱宗教と言われることと、
宗教的ニーズが現れてくることの間にはどういう関係があるのだろうか?


この土台には宗教とはそもそも何か、という事を考えておかなくては。
宗教学、と言われるような学問は欧米から始まっていますが、
欧米では宗教=キリスト教、でした。
それ以外の宗教が視野に入ってくるのは、近代以降18世紀くらいからの事です。
・ヨーロッパ人の非ヨーロッパへの進出

その中で、シャルル・ド・ブロス17091777
・『南方地域航海史』(Histoire des navigations aux terres australes
この人はもろもろの宗教の「起源」を探していきます。
アフリカなどの原初宗教を見る中で、ライオンの尻尾が大事にされていて崇拝されている
これは一体何か、ということで、宗教の起源には「フェティシズム」があるのではないか、と。
特別なものに力があるんではないか、と。呪物崇拝

そして
エドワード・バーネット・タイラー18321917
【辞書】イギリスの人類学者、文化人類学の父と呼ばれる。文化の概念を人類学的に定義するとともに、初期人類文化の発達を進化論的立場から論じ、宗教起源論においてはアニミズム説を提唱。著書に『原始文化』など

この人は、フェティシズムというよりは、原初的に言えばアニミズムなんだ、と。
生物一般、動植物、石、岩、山、川、それ自体生き物ではないものにも「霊」が宿る、と。
これが前回言った、デュナミスにもつながり、「精霊信仰」へもつながっていきますが、


ロバート・マーレット18661943
この人は、アニミズムよりも、もっとプリミティブなものがある、と。
アニミズムはどちらかというと、人格化された聖霊というか、
バーネットがみたのは、非人格化された力であるマナ

こうした流れの中での宗教の起源
タイラー辺りで考えられているのは「宗教進化論」これは明らかにダーウィンからの影響です。
・進化論―ダーウィン、1859年『種の起源』
マナティズム→アニミズム→多神教→一神教そしてさらに唯一神信仰へと。(序列化)

こうした考え方は現在でも「アニミズムがプリミティブだ」と言う際に感覚的にあるでしょう
しかし実際には、いまこうした進化論的な観点については議論があって、
「それぞれ独自の体系があって―」と。
キリスト教が最も優れているという価値意識が宗教進化論の観点にはあるのではないか。
アニミズムは未開の宗教というのは正しくないのではないか、と。

キリスト教社会に起こった宗教学における考え方。
しかし20世紀に入ってくると、
歴史主義的なとらえかた(それぞれ固有の段階での特有の意味合いがある)
ポストモダン―、脱キリスト教的な思想の広まりとともに、世界の多様性
異なる考え方に異なる価値を見出す考え方のなかでは、
宗教の序列化というようなことは薄まり―多様性

となると、キリスト教の価値意識からのみ宗教を考えていたのが
しだいに他の宗教も視野に入れ、
また、そこから一つ一つの価値・意味を確認されてくるようになるのは20世紀後半、と。

そうなってくると、宗教の多様性が理解されてくるという事で、
一般的に「宗教とはなにか?」ということは言いにくくなってくる。
それは前回はなしたファン・デル・レーウの研究もそうした流れのなかに。

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【前回の復習】
宗教一般として共通項を見出すことは難しい-「宗教一般なるものはない」 
―個々の宗教活動がある―ノミナリズム(唯名論)みなたいな事
その個々の宗教はしかし、ただ別々というばかりではなく、
歴史的な産物なので影響しあうということがある。
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そうなると、そうしたさまざまな宗教ということの、定義づけはどうなるのか。
日本人の宗教学者である岸本英夫(19031964
【辞書】父も明治・大正期の宗教学者であった岸本能武太。1926年東京帝国大学を卒業した後、30年、バーヴァード大学に留学、宗教心理学を学ぶかたわらインドの神秘思想ヨーガの研究を行う。宗教学の体系化を試みた。

  

彼の宗教の定義は
「人間生活の、究極的意味を明らかにし、
 人間問題の究極的解決に関わる、と
 人びとによって信じられている営み」
また、「この営みを中心とした文化現象」と。
また、そこに「神観念」や「神聖なるもの」という感情を伴う場合が多い、とも。

「究極的な意味」
「究極的な解決」
究極的、とはどういう意味でしょうか。
人間が生きていく上で「抜き差しのならない問題」
それがないと生きられないというようなものでしょうかね。
人間というのはそうしたものを求めていく、と。「よりよく生きる」ために。

実際には恐らく、現代の私たちが、生きていくことへの思いの中にも
生きづらさ、生き難さはありますが、
それが例えば紀元前3世紀の人のおもいとは違ったものともいますが、
ということは、つまり
(宗教が担う)究極的な意味、もまた時代性を帯びている。

では、実際に宗教というものが、どんな姿をもってきたか、
例えば聖書の信仰ということだって、
それはヘブライ人、イスラエル人が生きていく、
ひとつの社会を形成するということが彼らにとって大事でした。
放牧の生活のなかでの多様な生活が一つの社会を形成する中で、
王や指導者が具体的に必要とされたと思いますが、
そうした個々の人物を超越した社会性―
神との契約」というものが、重要な役割を果たしたでしょうし
また「律法」があって、それに従って、わたしたちの生活が整えられるのだ、と。
十戒の後半は人間社会の掟、ですね。「契約社会」の誕生

部族連合から後には王国が作られる。それもまた分裂し、他国との関係もあるが、
それを超えて自らの社会、民族としてのアイデンティティ、統一を維持するための
宗教の役割の大きさ。

なぜイスラエル人というものが一つの単位として存続しえたのか、
そのように生きていく中でなくてはならないもの、
社会をつくっていく中で大事なものを担っていた、
ということを聖書の中の宗教は伝えています。
そしてその時代を生きていた人の
生に意味を与え、問題を解決してきた。

この時代の宗教は「民族宗教」ですね。一つの民族の宗教としての位置づけ。
日本の神道が国家神道と言われることと非常に良く似ています。
他との区別を作り出すにあたって大切なもの。

しかし、それ以前の宗教の中には、
アニミズムの宗教、生活のありかたが素朴であった中での―
小さな社会単位、複雑な構造ではなく
人間がそこで生きていくということのシンプルな姿、自然との関わりの中での―

その後のキリスト教はどうなっていたか、
これは「世界宗教」になっていきます。特定の固有の社会とは段々はなれていく。
勿論、当初はローマ帝国の国家宗教としての役割が期待されていました。
また、各地域をまとめあげる役割もありました。

しかし世界宗教化されたキリスト教と特定の社会との結びつきは、どうなのか
近代化が進んでいく社会の中では、キリスト教そのものも、多様化していく
教派が分かれてくる。

そうなると特定の教派にかたよった国家のありかたが、
それでよいのか?という反省が起こってくる。
前期にイギリスの状況をお話しましたね。
特定の宗教と結びついていた国家体制から
―「信仰の自由・宗教の自由」が起こってくる。
宗教の多元化」が進んでくる。

そして世俗化―脱宗教化
宗教の側から言うと、宗教の精神化・内面化・個人化ということに。

現代社会と宗教を考える時に―
恐らく宗教そのものは、究極的な意味を明らかにし、解決をしようとしますが、
そのありようは、時代、社会状況で変わってくる。
宗教のありようも変わってくる。

精神化し内面化し個人化して来る事になると、
社会の中での宗教という役割は薄まってくるので、
例えば規範作りというようなところからは距離を持つようになる。
ある種の必然的な流れ

1960年代くらいから言われてるようになってきた言い回しに―
I am not religious, but spiritual.
(=spiritual but not religious)
特定の宗教には属さない。しかし、スピリチュアルである、
―脱西欧化、東洋の神秘(インド)
このようなこともまた精神化・内面化・個人化して取り入れられる。

・宗教が担っている機能の変化
これは岸本の言っていたこと自体は変わらないとしても、
その求め方が変わってきた、と。
社会のあり方と結びついて求められた時代から、個人化して求められる時代へと。
そのことに伴う宗教の変化もあり―

そうした大きな変化の中に今日があるという事を踏まえて
次回もこの流れの続きを―

(まとめ)
宗教離れ、脱宗教と言われることと、
宗教的ニーズが現れてくることの間にはどういう関係があるのだろうか?

社会の変化にともなって、その宗教的ニーズの現れ方には変化が起こる。
現代においては精神化・内面化・個人化された形でそれが現れる故に、
旧来の形式での宗教離れ、脱宗教というふうに捉えられるということも起こってくる。 
 

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