2011年10月26日水曜日

英専6-Depression and the Body 空間/訓練


1限 151 *9:00着 
Depression and the Body: The Biological Basis of Faith and Reality 
Alexander Lowen, M.D.
First published in the United States of America by Coward, McCann & Geoghegan, Inc., 1972
Published in Pelican Books 1973, Published in Compass 1993 

(邦訳)うつと身体 〈からだ〉の声を聴け  春秋社 (2009)
アレクサンダー・ローエン=著 中川吉晴/国永史子=訳


●(結果的に、だったのかはともかく)今回のテーマは「空間の取り方」「訓練」

P83/邦訳P89から
・抑うつ患者を泣かせることは効果があるが至難の業
・患者「こんなことをして何になるのか」
   「ママは一度も来てくれなかった」と言うような返事
・これこそがなく理由だが、それは抑うつ患者には通じない。
・母親にまつわる感情を抑制していて、切望感を表現する能力を失っている。

・じゃあ泣かせればいいってことでもないけれどね。
(泣くのは解放になるけれど)

・(感情表現がむつかしい、ということから)
やはり、この本で扱われているのは重いうつの例ということはあるでしょうね。

・もやもやしていたり、カーッとしていたりする感情的な動き(えてして複合的)
でも、それはすぐには名づけようのないものだったりする。
うつに対しては、それがどんな感情であれ、キャッチすることが大事
(決めてしまわないで)

・(クライエントを)どうやってキャッチするのか。
相手のものを感じて、「さみしそうですね」と言う事もあるし、言葉にならない事もある。
エネルギーの源泉をキャッチする=自我が動く空間・スペースをつくる、ということ

クライエントが入ってきて、まだ自由に動けないようだ、狭い感じのときには、
もっといろいろありそうだ/あるかもしれない、という形での介入をしていく
(クライエントが「今日はこの一本の川でいきます」(というモード)になっていても)
自由連想的な方法であったりとか

・自由連想法的な感覚
それはクライエントの、ということもあるし、こちらの感覚もそう。
(先生の例として)
たとえば、クライエントから「今日は落ち着かないんです」と言われて
私に、日本酒、焼酎のCM?(多分「まる」)みたいなイメージがわいたとして
「イキのいいピチピチの魚をかかえているイメージが」
とか言ってみるとクライエントが
「いやそういうことじゃないんですけど」
という否定から入っていって、そのうちには
「面接室を走り回りたい気分なんです」
というのが出てきたりとか。
それは「連想空間」を作ってあげることで出てくること。

・さびしいというMatrixでだけではなくて、アグレッションとか、リビドーとかで話す。
そうやって色々出てくると、本人も「あたしなに言っているんだろう」となって
じゃあそれを探っていこうということになれる。
そうなると面接の中の自由度が変わる=ぽんぽん「スリップ」が出てくるようになる
なので、本人が自分の源泉を探っていけるようになれば、
それだけでもう治療的、なんですけど。

・クライエントが研究所のほかの部屋に興味を持ち出して-という話
それまでなかったような話がでてきたり、うつの人でそんなことってあまりないでしょう?
部屋の話から、またさまざまな連想が出てきて。

・感情の意味を見定めること(怒りなのか?悲しみなのか?)よりも
エネルギーを出させること」が大事

うつにおいて、「エネルギーが回復する」というのは大事なポイントです。
回復させることをまず治療の最大の目的にして、意味をあまり問わないで。
エネルギーが回復したかどうかを毎回確認して。

その時のクライエントはは
「少しずつ自分の話ができてきている気がします」って言って帰っていきましたね。
自分のエネルギーが少しずつ。
当初は他人の話とかあたし(先生)の話ばっかりしていたが、それは
「まだ自分の話をする準備ができていない」ということを意味しているわけだから。
そこをつつくよりも、それはさせたまま動いているところだけをこっちがキャッチしていくと。
すると回復する兆しが見えてくる。

それまではポロポロ泣くんですけれど、感情が全然伴っていない。
「なぜか泣いちゃうんです」と言って。
で、ある瞬間ちょっと出てきたのは、子供にまつわる話の時で。
子供をみると(おつかいのとか)思い出すだけでも泣いちゃう。
でも何で泣いちゃうのか分からない。―うつの人の特徴で。

これは、この本で言われている「泣く」とは違う泣くな訳で。
感情を解放するという意味での泣くはもっと感じられるようにならないと、
エネルギーが回復するまで待たないと。
それくらいゆっくり回復していく。この患者さんは神経症でしたが。

(学生)自分がそういう場面に初めて立ち会ったらおろおろしちゃいそうですよね。

しちゃいますよ。だから訓練が必要なんです。難しいですよけっこう自由連想法って。
わたしも超おこられてますけど毎回。
「相手の言う事に乗って何か話そうと思うな」とよく(SVに)怒られるが
うつの人は「喋らない」、だから頼りようがないんです。
だから緊張するんですよやっぱり、わたしはヒステリー機制だから。
でも、それだと全然治療にならない。

そういう全然話せない人、のなかにも「何かあるだろうと」思って
恐れるんじゃなくって、自分の中にも自分の空間をを最大限楽しもうとする感覚がないと

(学生)その人を見た印象とかを口にするとか?

それとはちょっと違う。
クライエントを見て自分から起こる反応で話さないと
やり方として、クライエントの言う事の、「奥を広げていく」ということも出来るんだけど―
ようは、「ああ言えばこう言う的な会話」だと、それってけっこう逆の立場だとうざくない?
なんか言ったらそれにひっかけて喋ってくるって。空間としてはすごく狭くなる

だから、連想としてひとつのテーマが出てきたら、
それに対して
・クライエントが思うこと
・私がおもうこと
という風になるために―
(さっき出てきた、「落ち着かない」ということだったら「落ち着かない」ということの)
その人のMatrixでごちゃごちゃいうんじゃなくて、
ほんとに、切って離して、「あたしだったらどう言うか」と
私だったらこう連想すると言うことが出来る空間形成が自由連想においては大事。

それを間違うと、強迫の人とかだったらすごい難しくなる。

(学生)自分が感じたことをそれなりの表現で言って、相手がすごく負の印象を持っちゃっておかしくなってしまうという危険性はありますよね?

それは、相手にひっつきすぎ、なんです。相手に頼っているということのサイン。
自分の出した言葉が相手にどう受け取られるか、に自由な言葉じゃないといけない。
相手がどう思うかはいいんです、勝手に思ってくれたらいい、っていう
自分の感覚でないと。
だから、こんなんなって(ぴちぴち魚、のやつ)やってるのも
クライエントの人はすごく馬鹿にするわけですよ「そんなんじゃないですよ」みたいな
で、それで良いんですよ。
こっちから出したものなので、それはクライエントが勝手に調理してくれればいいので、
こちらは調理するその人をを見ればいい

自分の言葉と自分が近すぎる、「食われちゃこまる」みたいなになっている時は、
治療としての自由連想にはなりづらい。
それもまぁ訓練です。人間すぐ頼っちゃうんです。相手に。
ロジャーズの「独立性をたもつ」というのはだから結構大変な事なんです。

・(訓練)私が学部の頃にやっていたこととして―
「私は」ということを軸にして、
A「私は○○です」
B「私は○○です」
というのをとめどもなく言い合う、という

(学生)I messageみたいなことですか?

I position, You position, it position, we positionというのがあって、
4つのポジションで連想をする。

けっこうむつかしいよ。相手のことを無視して「私が」って言うんじゃなくて。
(互いの)影響性がありながら「私が―」というのをどんどん言い続ける
そこで自分がどうでてくるか。

(学生)自分の中の抵抗みたいなものが出てきそうな感じですね。

4つのポジション全部やると、どこが得意でどこが苦手か分かるよ。
「あなたが―」っていうのはすごく言いやすい!とかね
そういう自分の特徴ってすぐわかるんですよ。
また、いろんな空間のとりかたがある、ということが分かる
良い悪いという事ではなくてね。
全部がいつでも動ける、ということになれば良いわけだけど

(学生)それって、この授業のあと学生だけで試してみても大丈夫なものですか?

問題ない問題ない。
考える間をなくするぐらい早くね。
段々早くしていったり。訓練としてね。
コツは肯定文、というか「○○です、○○です」と区切って話すことかな。
「○○ですよね?」というような形でなく。

なかなか出てこない、という感覚も(この訓練で)分かってくると思います。
それは自分の連想の練習にもなるし、自分の特徴を掴むこともできる。

it positionは、「それは○○です」とか、「あれは○○です」という形で出てくることも多いかな。
ここでどういうことを言うか、というのもこの訓練の一つの特徴なんですよ。
「それ」を視覚的に見えるもので言おうとしている、とか
自分の空想空間を使って言おうとしている、とかね。
自分の特徴もやりながらでてくる。
だから、はじめからあまり考えなくてやるのがコツ。

「それ」っていう空間は、「わたし」と「あなた」とは全然別のところでしょう?
だから前回のクラスでも出てきた、三項関係を体験する空間というのも出てくる。
また、連想をする時に、
相手に頼らないで「それは―」を二人が自由に話すことが出来た時に、
その空間は「わたしが」や「あなたが」とどう違うのか

またWe position、「わたしたちが」というのはどんな感じなのか。
「こういうことってあんまり言わないわね」とかね。
そうすると、「わたしたち」という空間は、Here and Nowとかいうけれど
結構見逃しがちな空間なんじゃないか、とかね。

これは、セラピーとかじゃなくても、身近な対話の中でも
「わたしたちは」っていうのがあるかないかで全然違うんですよね、対話の終わり方が。
「二人で作った空間はこれね」みたいな風に終わって帰ることで、
相手の存在感を体験する、とかね。

このWe positionは結構大事なんだけど
だいたい「わたしがー」とか「あんたがー」で対立することが多いでしょう?
そこにWeの空間を置くと何が違うのか、を体験することは訓練のひとつになる。

たしかにローウェンがいったみたいな、
エネルギーの回復回路のいろんな場所を掴むことができる。
こういう4つの空間の使い方、もそのエネルギー回復の鍵になってくる。
どこにルートが出来るかは分からないけれど。
わたし達はそういう空間を縦横無尽に行きかう自由度がなければいけない。
そのための訓練なんですよね。
自分の特徴をつかんでおくと、狭くなった時の拡げ方、とかもわかる。

○(じゃあ次の翻訳箇所)
・子供の頃に抑制される感情は、怒り、陰性感情、そして敵意などがある。
・そのような感情の表現は罰せられる可能性がある。今日は少なくなってきているが。
小さな子は衝動表現に必要な自我の発達が十分ではない。
・親との葛藤が続く状況だと、幼い子はそのような感情を抑制する
・当初はその抑制は、ヒステリー爆発としてあらわれるが、
 のちにブロックされるようになる―ロボット的

・小さな子は衝動表現に必要な自我の発達が十分ではない。
―子供のうちは、出すか抑えるか、というのが極端。
一旦「出さないこと」を覚えてしまうとなかなか出しづらくなってしまう。
で、あるとき急に爆発、とか。

そういうテーミング(Taming)はだいたい小学生の頃に覚えるはずなんだけど
それを学べない子だと、All or Nothingで、周りからは身勝手と思われてしまったり。
その子もやってしまったあとに、どうしてこんなことしちゃったんだろう、みたいな。
一見従順な子がね。

絵を描くことの治療的な効果
(まず、絵を見る枠組みがないと、いいわるいは言えない。
ただ描くということではなくて。)

絵を描くことで自分と向かい合う時間、空間「主観空間」をとれる。
(今日は空間をとるということがテーマになっていますね)

絵にはその絵の時制があって、その絵のエネルギーがあって。
自分でも描いてみるまで思っていなかったことに気づけたりも。
そこからすこし中に触れる、遠くから近づく、というようなことがあったり、

大人の描く絵だともう少しワンクッションというか、
(ウィニコットのいうところの)中間領域になるいい素材というか。
震災とか、PTSDとか、うつとかの人に
中間領域としての、道具としての意味をもたせるというか
自分から距離をとって見られる、話せる。

(学生)それは夢分析に近い効果なんでしょうか?

夢分析ねぇ…
「夢を語る」こととはちょっと違うのかもね、
「絵について語る」ということになると近いものがあるのかもしれませんが。

絵を描くことには、前意識レベルのものに触れられるということが、ありますね。
無意識、はもっとその奥ですが。
やっぱり、絵には「触れられるくらいのもの」を描いてくるということもある

(学生)それは自分を客観的に見るということでしょうか?

そうですね。
入り込んで自分の中だけでアクト・インしないで、
絵に出すこと、その絵に一緒に触れてくれる人がいる体験ということで、
ひとりで抱え込みすぎない。
だから、客観的にということに加えて、一緒に見てもらえるということの作用もある。
描いて描きっ放しじゃなくてね。

(クライエントにとって相手が)
「自分に触れてくる」じゃなくて「絵に触れてくる」だとすこし距離がもてるでしょう
絵だったら勝手なこと言えるじゃん、嘘もつけるし。
そこに遠くからすこしずつゆっくり入っていくことが出来るので、
そういうのを中間領域と。それを持つのに絵も役立つということ。

All or Nothingになりやすい人たちと、
どうやって「あいだの空間」(中間領域)をつくるかの技法に色々あると。
自由連想における発話もその技法の一つだし
言葉になりづらい人だったら絵だったり、
プレイセラピーにおける遊びもそう。


*「運転中に人が変わる」というのはよく言われることだが、
それも、状況をかえると普段とは違った感情が出せる
(これも空間の取り方が違う、と言えるか?)という意味で、
方向性は違うが絵を描くことと同じような作用があると考えられるだろうか。
でもじゃあ
何で運転している人は「攻撃性」や「怒り」を普段より容易に出せる状態になっているんだろうか。

―(仮)
 ・例えば―、車のコントロール(それに付随する危険性)というプレッシャーに対して
  バランスをとろうという作用
  →普段働かせているような「冷静さ」にエネルギーが回らなくなっている。

 ・例えば―、運転中は、車の危険性(下手したら死ぬ可能性が高くなる)によって、
  運転以外のときと比べて、怒りがわくような状況が頻繁に起こっている。
  →「ふざけんな、俺を殺す気か!?
  →その改善を目的として考えてみると―
   危険性が高いと認知すると、攻撃性がでやすくなる
   というメタ認知を持てたとしたら、攻撃性は和らぐのだろうか?
   (葛藤や不安を意識できると、代償だった症状が和らぐというような意味で)
  ―でももしかして、そういう運転における「危機意識の高まり」を利用して、
   本当は他に向けたい攻撃性を表しているなら、その分析がないと和らがないか。

 ・例えば―、スポーツと比べると簡単に大きなエネルギーが出ることで
  競争感覚に火がつきやすくなる、とすると
  それは攻撃性が出やすくなっていることに直接関係しているのか?
  

・連想からのスリップの話
連想がわーっとなって楽しくなってくると、自分でも訳のわかんないこと言っちゃうんだよね
というのがフロイトの言ってるスリップで、そこに無意識がふっと出ている、と。
そのスリップが出てくるのは「いま、ここ」でしょう。
過去ではなくて、今この瞬間そうなったというのが
心理療法の変化のすごく大事なポイントで

過去にいって変化するって思わなくてよくて、
(ローウェンがずっと言っているのもこれですが)
今の瞬間にいろんな感情がでるようになる(=エネルギーが回復する)、
ということを起点にすれば
そんなに、過去うんぬんを先に洞察するとか作業するとか言わなくても、
本人が自然に関心を持っていきますよ、と。
クライエントが「こういう風に怒りたかったんですよ、何であの時出来なかったんだろう」
というように。

そうやって
退行的でなく、今の自分を起点にして、
過去の自分の歴史を振り返ろうとしたり再構成しようとしたり
「あの時の自分はこういう風にしか思っていなかったけど、
実はもっと彼はこんな風に思っていたんじゃないか、とか、
自分も怒っていたけど実は愛していたんじゃないか」とか

今出てきた感情を軸にして、新しく再構成のプロセスが始まる、と。
(ここは心理療法の面白いところ、と)
それが、「どうせ過去を修正するんでしょ」という批判への
アンチテーゼとしてローウェンが言おうとしたこと。

ローウェン自身は発達のこと、過去のことも大事にしているので。
でもはじめから過去のことに行かなくても
どんな感情であっても出てくることが必要だし、
それがHere and Nowで―

ローウェンはエクササイズの中でこれをやったのですが
新しい体験が出来る、ということに軸を置く必要があるんじゃないか、と
ま、そこまで厳密に考えていたのかはわかりませんが
そう思っていたんじゃないかと思います。

○(次の箇所)
・性的な感情や攻撃感情をそのままに表現できる患者はいない。
・ベッドを叩いたり蹴ったりしながら大声で「いやだ」と言わせてみる。
・「いやだ」と言えないことがほとんどの患者に起こっているようだ。
・全国のワークショップで同様のことがあった。
・彼らが若い頃にそういう衝動が抑制されたと結論づけるしかない

私も被災地でこういうことをやったのですが、
怒りのやり取りをする、見せるということをしたのですが、
すごく批判をうけましたね。
「あぶない!」と。
怒りがいやだ、というのがセットされているようで。
専門家の人のほうが、けっこうそこは難しい。
むしろ普通の適応的な人のほうがまだ…、最近感じる事ですが。

ただ、そういう風に(私たちに)言う事で怒っているんだよね実は。
でもその怒りを直接に体験するということが難しいと。
実際はでも「怒っているじゃん今わたしに」ということはある。
(批判の意味は)彼らのうつ状態にふれるなというサインだとも思います。
そこで直接に怒りを体験するのは難しいということ。
そいういうことで思考に走るということだったりもあるかと思うのですが。

・アウトプットされやすいエネルギーとしての怒り
私が思うのは、自分を守ろうとするためのエネルギーというか
外のものを排除することで中の空間を拡げることは出来るということ。

でもそうすると、自分の中の空間を見なくてはならなくなる。
「いやだ!」と言うだけでも、さみしさや陰性感情が動く
すると、そこをみるのが嫌な場合
感情体験、揺れやすくなることはやめておこうとなったりする。

「いやだ」と言えないこと
うつの人が、実際は(何かの出来事に対して)嫌だという感覚はあって、
その後にうつが起きたと考えると、
「嫌だ」を彼らが実際どんな風に言えるのか、が大きなテーマになってくる

たとえば(うつ状態/うつ病においては)
「お母さんがいてくれなきゃ嫌だ」ということが初めはあったはずなのに
それさえももう無かったかのように、その後無力化するということが起きている。
(そして、セッションで「嫌だ」なんて言っても無意味だと否定する)
でも実は嫌なことの中にいっぱい「求め」もあれば「敵意」もある。
嫌というのがただの陰性感情ではなく、
コンデンスしたものもそこにある
と思えると治療的に違ってくる。
否定的な感情が抑制されてしまう、ということにおいては
嫌なものだけでなく他の色んな感情も閉じ込めてしまっている。

そう思うと聞き方が変わってくるでしょう?
嫌だ、ということをもうちょっと心地よく聞けたり。

・(先生の場合)
実際それ、すんごい出てくるんですよね。
自分を嫌だといえなかった人、その人の奥にはうつがあったんだけど
もう、(自由)連想の中でいろんなものを破壊しまくるんですよね。
私の脇にある絵をさして「ぶち壊したい」とか。
「この壁を切り刻みたい」だったり。

そういう言葉はすごくを持っているでしょう?
「パリィィンっていう感じでですね!!」みたいな(笑)
はじめ私は嫌だったんですよやっぱり。
何が起きているか分からなかったから、というのもあるし。
その人のエスカレーションが起きるんじゃという不安があったり。
でもそれって目の前しか見えていないんだけど。

だけど「自由に遊べばいいという発想があれば、まぁいいか」と思って。
なんか、(クライエントが)ボクシング感覚が出てきた、って言うから、
じゃあ「何を殴りたくなるのか」という形で自由に(連想を)やっていたら
そういうのがボンボンでてくるわけですけど、そこで大事なのは
破壊することそのものじゃなくて、そうすることでスッキリしたという感じ。
「嫌だ」と言えたら、自分の空間が確保できたという感じを持てたか、という

(クライエントが)
先端だけで「嫌なもの」と付き合っているというのは、
コンデンスしたものは排除したい訳でしょ
だから、排除したいだけした訳ですよ。
その後全部家族も「殺していく」訳ですよ「みんな殺してやる!」と言って
「殺す」ことそのものが良い悪いではなくて
そうやったら自分の色んなものにやっと触れられる、という感じが起きますか?
というところに注目しなくてはいけない
本人はそれですーっと落ち着くんですよ。

そのときは(クライエント本人が)
「自分はこうやって自分の場所を確保するために怒るんでしょうかね」と言ってね
それくらい、子ども時代にいかに抑制されてきたか、という怒りがあって
「その怒りを一旦おいていいですか?」ということをやっている。

今は本当はもう必要ないんだけど、どうしても出てきちゃうと。想起が。
「自分はすごく自由になった」という話をした瞬間それが出てくるんです。
「空に浮くような気持ちになった」と言った瞬間ぼかすかに殴り始めるんです。
それは照れかも知れないし。

「自由になった」と言うと、過去の方からまた
「どうせそれをメッタメタにするんだろ?」
というのが彼の中に出てきちゃうらしいんですよね。
だから自分でぼこぼこにし始めるんですよ。

しかも私が女性というのがあって、男性だから、
多分それが想起されやすいと。
本当はそれが「今のこと」かもしれませんが
「過去のこと」としていろんなモノを持ってきて殴りまくって、
「過去のこと」を少し、彼の中で空間をとると、ちょっと今に戻れるという
そんなことをしたり。

「嫌だ」とか破壊的な感情を止めることで、
いかに大変になるかという例として見れたかな。
それは次の段落まで読むとちょっと分かると思います。

○じゃあ次の段落行きましょうか
・幼児期に性的感情が抑制されているというのは、今日では古い考えかもしれない。
・しかし今でもそれは起こっている。(親の誘惑という形)
・性的感情が抑制されるのは子どもにとってタブーであり危険でもあるから
・親が公然とあるいは密かに誘惑的であると危険をひきおこす。
・私見ではその証拠は同性愛者の増加、このもとには常に誘惑的な親がある。
・ここで言っているのは性的感情で、性器感覚のことではない。
・これらは骨盤の筋肉組織の収縮によって防衛される。
・これがもたらすのは下半身の感覚遮断―個人のグラウンディングを妨げる
・これは呼吸を胸と横隔膜に制限することで更に強く呼吸機能を妨害する。

なんでいきなり性の話なんでしょう。
アグレッションの取り扱いということですよね。
ローウェンの立場は性愛感情にかかわるものがメインで
性愛感情を防衛するための怒りという位置づけだからこういう書き方になると思うんです。

だいたい怒りが出てくるときというのは、
思春期もそうですが、恥ずかしいから怒ったりするわけじゃないですか。
そういう自分の秘密を持とうとしたり、自分の空間を持とうとしたり、
リビドーにかかわるエネルギーを安全に自分で持てるために、
怒りとか敵意という否定的な感情は有効なので
止めずに自由にすることはうつに対して有効だ、ということ。

うつの治療においては
リビドーを自然におもてに出していけるようになるかどうかが大事なので
そのステップとして、間接的な意味で、嫌だという感情を扱うことの意味がある、ということ。
そういう位置づけで怒りをおいている。

ローウェンはめちゃめちゃセクシャルに溢れた人ですからね。
著書の写真とかを見てみると。どんな格好で撮っているんだ、みたいな(笑)
奥さんと載っているのですが、自然に愛しているなというような感じの。

もともとうつの治療原理においても
リビドーを扱うことは最終的には―
だって「お母さんを奪われている」ということだから
自分の愛情を一番大事な人に向けても良い、という感覚をもてるようにならないと。
その感覚を奪われているから自分の中に閉じこもって
「一切関わらない」っていう世界にいるわけですから。

治療的には
自分のリビドー、エネルギーを自分で感じられるようになるか、
また、それを大事な人に向けられるようになっていくか、ということ。
その手順が、この先ではえがかれていきます。

(終鈴)

(学生)こういう時にでまず「怒り」がくるのは、それが出やすいからという事なんですか?

そうです出やすいんです。 
(怒りは)防衛として出やすい。
でも、防衛でもいいから出てくるほうが大事、ということ。

(普段と変わらぬ進行だったが
今日の先生は風邪だったようだ。)

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