Depression and the Body: The Biological Basis of Faith and Reality
●第3章(P77の最後の段落から4段落分)
‐先週から引き続き、自分の訳出割り当て分
抑うつは、有機体内部の力の喪失であり、ある意味では空気の抜けてしまった風船やタイヤに例えられる。内部の力とは、生命の中枢から身体の末梢部分へ向かう、衝動や感情の絶え間ない流れ(flow)のことだ。実際に身体の中を流れていくものはエネルギーのチャージ(*energetic charge)である。このチャージは、流れが通る先々の細胞や筋肉を活性化し、感覚や感情を引き起こしていく。これが行動へと結びついた時、それを、イン(内部)からのパルス(脈動)、つまり「インパルス(衝動)」と呼ぶ。抑うつ状態においては、この衝動の形成が、回数の点でも、強さの点でも、はっきりと落ち込んでいる。この減少によって、内的には感情の喪失、外的には行動の喪失が起こる。したがって、抑うつは「内部の崩壊」と言う事ができる。この意味するところは、適切な衝動を伴って外的状況に反応する有機体の能力が、著しく減少しているということだ。
・分かりやすい例えですね。風船。タイヤのたとえ。
物理学者の人が例えるときによくつかう
衝動や衝動が引き起こす力、という点から考えることで、抑うつの本質についての理解は明確になる。衝動は外側へと向かって力を及ぼし、通常はなんらかの「エクスプレッション(表現)」となる。エクスプレッションとは文字通り、外側へと向かう力のことである。すべての欲求や感情や思考の背景には衝動がある。衝動とは恐らく、有機体内部から外的な世界へと向かう「エネルギーの運動」と定義される。外側へと達した衝動はどれも、欲求として表れ、感情を引き起こし、思考と結びつき、行動へと結実する。この結果、たとえば誰かを殴ってやろうという衝動を持ったとき、衝動はまず、自分を痛めつける誰かをストップしたいという「欲求」として表れる。そして怒りの「感情」を引き起こし、その衝動が起こった状況に関する「思考」と結びつき、最終的には「ぶっとばす」という行動へと結実する。
・衝動が、感情や欲求より先にある、ということ。
・もともとをいうと、リビドーが衝動のもとにあるが、その後にいや、破壊的なものもあるでしょうというような
・フロイト「自己保存本能」、うつ病は「本能がなくなる」ともいいえる
・デュアルで、エロスとタナトス、としておくのか、結局はリビドーだよね
・自我と自己が融合されて使われている傾向がある。彼はもともと自我優位のひとだが。
・フロイトが対応し切れなかった、自己愛神経症に、
ローウェンは対応しようとしていたがゆえの「身体性」
・フロイトは強迫神経症だったので、できるとこは緻密に緻密にかくが、かけないところはかかない。
・「潜伏期の説明」Latency についてのフロイトの論文に、
「精神性的発達」―身体と言う語は使っていないかもしれないが。
○
Tさんのパート
・表現(エクスプレッション)の反対の言葉としての「印象」
ローウェン流だと「うつ病のひとから印象を受け取る」とは言えない、ことになる。
*生命力を感じる、というようなことを=印象、と言っているのだろうか
・うつの人と話した感じ、「返ってこない感じ」
(分裂の人だと「吸収される、すーっと」というかんじだが)
P80 Suppression of Feeling
・随意筋システムで、行動を抑える。
・臨床的な観点から、常に捉えている、ってのが先生の話し方からは感じられる
・森田療法的な-、動かさないことで、エネルギーを感じさせる(ぎっくり腰の同僚の話)
・梅雨時とか、放射能とかで、一週間保育園で散歩できない時に、子供が荒れた、話
子供の防衛の解消の仕方は身体を動かす、「運動感覚で解消する」、
それができない状況に置かれると、怒りになって、先生にぶつけることで解消しようとする。
(子供の理屈っぽさ、と身体を動かす環境が制限されている現代との関係)
時代(状況)に応じた、防衛機制、適応機制の発達の異なり、変化
・相手の「エネルギーを感じる時、出す時」の感覚を意識する。
何で葛藤をもつのか、葛藤を持たないのか、には、社会、世代の影響はたしかにある。
・「堪忍袋の緒が切れる」
一年もずーっと切れてることはないですよね。
たいていはどこかが切れれば、他の自我の部分が、解消に向かって働いてくれるので。
(神経症レベルの場合だとこれで)
人格障害になると、自我の機制自体が少ないので、
切れるのを抑えるシステムが働かなかったり。(自分の安全感との関係)
・抑圧の「程度」の差、病態として現れるのも、健全、に生活していけるのも
・アイソモルフィー
心で起こっていることと、身体で起こっていることの「平行」
根本の変化―構造を変える
瞬間の変化―構造を変えるとかで上手くいかない場合、瞬間の変化の
根本よりも、「エネルギーの流れ」を知覚することで、治療というのがローウェンの流れなので
構造でみると、もう(重い人だと)動かない、変わらない、ということで終りなんだよね
(最悪の形としては、座敷牢的なことになるが)
変化すること、変化させられる流れ、を感じているから、更にアプローチすることができる。
(残った自我の機能、生きているもの、そこにあるものを見ていこうという感覚
-また、彼の生きていた時代背景、その当時の精神病の人の扱われ方、とローウェンの関係
・ローウェンの言説-自我心理学に一石を投じている部分がある
(治療者が)自我の詰まっているところばかりみていると、それは結局爆発するしかなかったり。
しかし同時平行的に動いているほかのもの、他の流れ、
本人は見られないかもしれないかもしれないが、治療者には見えそうな、「有機体的な流れ」というものがあるんじゃないか、というのがローウェンの。
(フロイトに狂ってる私の先生が言う事にはね)
・メイトリックス
反応世界の雰囲気、印象
⇒ローウェンの言う「有機体」的なというような。
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