2011年9月21日水曜日

英専1-イントロダクション

*レポートについて
抑うつのダイナミクス-レポート課題になる。
どういうエネルギーの動きによって起こるのか。皆さんの臨床ノートの一部として。
ローウェンを中心にかいてほしいんだけど、抑うつで有名な理論家。
誰が何を言っているかを正確に理解してください。

有名な理論家といえば-ベック

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参考:【日本心理学会】
ベックは精神分析的な立場から
―しかし心理学者とともに「認知による感情変化の原理」と実験結果に基づく方法として展開 

○初期の臨床観察(1963
うつ病の推論の歪み
その根底に抑うつ的「スキーマ」あり
心理学者との共同研究

○認知療法の認知心理学的根拠
うつ病の情報処理研究(認知の偏り)
認知心理学のスキーマ理論
認知による感情変化の原理(認知結果:自動思考)
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有名な(ベーシックな)ところから言うと、
・フロイト『悲哀とメランコリー』
・ジェイコブソン(自我心理学と対象関係学をつないだひとの一人)1960年代『抑うつ』
自我心理学、心の発達に未熟な人を積極的に扱うことは無かったので、そんなに理論はいらなかったが、色んな対照群、境界例の人とか、臨床をやる人のが難しくなるに従って、対象関係学、心の中に大事な人をどうおけるか、の理論が必要になってきた。
・ベック

理論はベーシックな原理としてありますが、技法としては年々アップデートされていく、と。
そういう意味では最新の抑うつの論文を調べて比較するのも面白いですね。

理論の大事さを実感することありますか?
先日心理臨床学会(福岡で)あって-
グループをやりました、の発表。心理アセスメントをやりました、ということで
アセスメントで何を見て-(私はやってません)実際はチームでやっているので-

この人はこういうことでうつになったんだ、とか
心の機能、エネルギーの流れとしてのアセスメントってない。
いいことやっているんだけど、理屈として分かっていないということが、結構多いんです。
(怖い事ですが)

つまり、変化を見るとか、日々一回一回の治療的な変化のおさえがなかなか難しいらしいと。
見る視点、ようは心のこととしてアセスメントする(その人の独自の心の動きをみる)
ことの理論が身体に落ちていないんですよね。
ベースには理論を知っているかどうかは結構大きい。

どういうふうにうつがおきていて(容態)、
どうやって治療するかの理論を精査してみていくための「地図」を持っておく
ローウェン流(身体性)もあればジェイコブソン流も(対象関係)あればフロイト流(欲動)もある


その理論を、人とセットで憶えていくと、血肉化されていくんじゃないだろうか。
ゆっくり読める時というのは、こういうときですからね。
自分だけでやるというふうになりがちなんですよね。
しかしこれでは実際にも対応できないし、行き詰まりがち。

専門用語は難しいタームが出てきますが、
それが誰から出てきたのか、を調ながら読んでください。
5章にはいるとだいぶ出てくるかと思いますので。
精神分析的な言葉がどんどん出てきます。
これがわかるだけでローウェンが言っている事ももうちょっとわかってくるんじゃないか。
メラニー・クラインとかも出てくるし。

敏感すぎるために身体から離れてしまうって
恍惚感―それをずっと持ち続けたいがあまり、身体性を無視してしまうというような状況。
いわゆるプロフェッショナルな人でも。
走っている人とか(オーバーワーク)

ICUで、いま、鍛えましょうじゃないけれど、来年までで終りのクラスで
マリリン・モンローの事例研究
グリーンソン、技法のテキスト(マリリンモンローの治療をしていた)
彼が彼女の死を発見した人なので色んなうわさがあってね。
彼はもともと精神分析の人で、これはモンローの事例だなという論文もあるんです。移行対象を―
私の先生は、マリリンモンローを治療できた、っつって事例をやってるんですが
身体にかかわる表出をどう見るか、という
移行対象はどういう発達的なバックグラウンドからくるか、というアセスメントが
母親と分離する際にタオルとか人形とかを抱えて分離できる、中間領域が必要だと。

読むと、最初の記述が、壁に耳をあてて撫でながらグリーンソンに―
母親をなかなか内側に置けない、
(セクシュアリティのテーマ、身体性を無視すると簡単に見えなくなってしまう、と。
なんで彼はこれを取上げないんだろうと―
で、彼はうちにかこっちゃうんだよね
家族代わりみたいな―

リビドーの質、アグレッションも―、ローウェン、ライヒはそこらへんはストレート

3章―うつにもいろいろありますよ、というのがすぐ出てきます。
精神病の代表的な二つは統合失調症とうつ病だと。
精神病レベルのうつ、になると治らない(長い間かかえる)ケースと、
神経症のレベルで治療がうまくいかなくて長くかかるということもありますが。
でも、いまうつのひとって長いよね。

無意識の意識化、というのはベーシックなフロイトの治療原理ですよね。
構造論では「イドあるところに自我をあらしめる」
実際に無意識にふれるための方法が「自由連想法」

催眠の一つの問題は
―自分の意志でいかないために「乱れる」ことがある。曝露されるような感覚。
自分で触れられれば、自分で行けるじゃないですか。

自由連想は、「難しいひと」にはよく効くんですよ。

ローウェンの「リアリティを置く」

割り振り
・一人4段落



病態水準の話
診断軸

抑うつと見立てをする時に、あるいは抑うつ神経症だ、といえるための
「軸」をもてるようになってください
カーンバーグ Kernbergが教えてくれます(境界例の勉強には絶対必要な人です)
どこから治療していくかの手順が違うので。
精神病
人格障害
神経症

状態像がどこに位置するのか。
あと、どういうものかも説明できるようになっていて下さい。
あと、防衛機制も出てきますね。Suppression
A・フロイト―マリリン・モンローをアセスメントした人でもありますね。
はぜモンローを精神病と言わなければならなかったのか、というところにわたしは興味があります。
アンナ・フロイトのセクシャリティ
心の内ばかりでなく、外との関係における「防衛関係」もあるんですよというのが、
アンナ・フロイトの理論です
(対衝動、対超自我、対現実での防衛機制)
思春期、青年期に特有の規制とその容態についても詳しく書いていますね。
あと、ハルトマンとか。

2011年9月19日月曜日

哲学と論理-1「言葉を通して考える1」


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後期は基礎知識より考えるという事を中心にした授業にしていきます。

・先生の自己紹介-Drの論文の真っ最中、「論文と文献とパソコンの三位一体状態で」
・学生各人の自己紹介も
 
●第1回 言葉を通して考えるということ

1.言葉を通して見えてくる世界:否定という無限の可能性
文章を書くという事、言葉を共有するという事。
言葉を通してしか見えてこない世界。

①否定のない世界=茫々としたのっぺりした世界(人事の世界)
→何の関心も持たずに世界を眺めた時、世界は何の否定も持たない。
もし、否定という事が一切ない世界(思考実験的に)いたとしたら、
恐らくそれは「私」には全く関係のない世界ではなか。
何の関心も無く世界を見ているときには、ほとんどわたしには意味はないだろう
世界はなんの訴えかけもないだろうし、世界は何の否定も持たない。
ではその世界が意味のある世界になる、というのはどういうことか

②「ない」という否定を通して、茫々としたのっぺりした世界が一変する
→否定を通して、そこにないものを見ることが出来る。
例)あれ、机がない
  あれ、ここ更地になっている、ここにはなにがあったんだっけ?
キーワードとしての「居心地の悪さ」
*動因
-「私」はそもそも「否定」に満ちている、というか、その「否定」が願望を生む、ということか。  

③「否定」という無限の可能性:「ない」物を探すと無数に「ない」ものが現れる
→例えば、この教室にないもの、山、川、イヌ、猫、象、キリン、ハリウッドスター、宇宙人


否定(「ない」)に言葉を添えることで、何が「ない」かが確定される。
→自分がどんな「ない」に捕らわれていたかがはっきりする。
→他者ともそれを共有できる。

『コンビニエンスストア 夜歩ク』(『lives』川口晴美)、の詩の話。「これじゃない、これじゃない」。
「これじゃなかったんだな」という気づき。
「何かが足りない、何かが欲しい」-世界を自分の視点から見ることが出来る。
しかし「何がないか」と言葉にすることで初めて具体的に動くことができる、と。
「否定」という無限の可能性の世界

「何がないか」を言葉にしなかったらどうなんだろうか。言葉にして限定することでうまれる違和感

2.「考えている」と言える基準:考えているのか、自動機械なのか
「ヘウレーカ」を敏感にキャッチする。

①外的な刺激に反応しているだけでは「考えている」とはいえない
オリジナリティ、創意工夫

②チンパンジーが檻の上にあるバナナを、箱を重ねて取ったらどうか:考えている?
→「考えている」の基準≠単なる刺激に対する反射
チンパンジーのアイちゃん
学習心理学的な意味での「洞察」

③「もしかして」の世界への飛躍:現実世界から可能世界へ
→色んな可能性を試してみる、その可能性から現実から飛躍していればいるほど、人は「考えている」と言いたくなる。
→フェロモン入りのインクをたどる蟻には、可能性の世界はひらかれていない。ただ現実のインクをたどるだけ。

*種、レベルでの試行錯誤、進化、は「考えている」といいえるか?
あるいは、逆に進化の歴史をみて、インテリジェントデザイン的な、神が考えているとしか思えない、ということになっちゃうのでは?

④現実べったりの反応の世界からは、「考える」ことは出てこない

⑤現実から、可能世界(もしかしての世界)へ舞い上がり、現実世界へと着地させる翼→<ことば>
こうなってみて、考えている、と言えるのではないか。
それはありえないよ、の世界に羽ばたいて-、新しいアイデア

*正反対のものとしての典型的な「反省」という考え方。
もしかしたら、の世界への思考を強化する要素はこの世界にあるのか?

カントの自由:法則的に落ちていく、原因-結果の枠組みから飛び出すことこそ、自由だ、と。
考えることには、「現実から身を引きはがすこと」が必要なのではないか。
*地に足のついた考え方、というのは矛盾しているんだろうか?

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自分一人の力で、自分を(奴隷のような捕らわれから逃れることを)見つけられないことは明らかだ。弟息子として癒やされるより、兄息子として癒されることのほうがわたしを怖じけさせる。ここにいたって、自分で自分を贖うことが不可能であることを突きつけられたことで、いまこそわたしは、イエスがニコデモで言われた次の言葉の意味を理解する。「『あなたがたは新たに(上から)生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない」(ヨハネ37節)
 
確かに、自分自身で起こし得ないことが、起こらねばならない。わたしは下から新たに生まれることはできない。自分の持てる強さで、自分の思いで、自分の心理学的洞察でそれを実現することはできない。わたしはこのことに、一つの疑いも差し挟まない。というのは、わたしは過去、自分の抱いた不満を自分で癒やそうとひたすら努力しては失敗し、……また失敗し、……そして失敗してきた。ついには、まったくの感情的な破綻ぎりぎりのところまで来て、体の激しい消耗を招いた
 わたしは上からのものでしか癒やされない。神が手を差し伸べてくださらなければ、それは起きない。わたしにとって不可能なことも、神には可能だ「神はなんでもできるからだ」(マルコ1027節)

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3.ことばの箱庭
言葉が担う箱庭的役割。
①ある一個の存在に出会う時、私たちの前には、可能性の世界がひろがっている。
→一匹のイヌからどこまで可能性の翼(ことば)をどこまで広げられるか

例えば、チョークから、いかに現実から離れたことを考えられるか、の話

例)【イヌ】が【犬小屋】に【寝ている】
  【猫】が【こたつ】で【丸くなる】
  【鳥】が【伝染の上】で【鳴いている】
パーツを組み替えれば、いくらでも可能性の世界がひろがる。(言葉によって)
*アクエリアスの、本田、石川、北島のCM

②可能な組み合わせを試してみる時、現実のものを使うわけには行かない。
→模型、図面、絵、最も手軽な代替物、それが「言葉」

ことばで箱庭を作る:可能性の世界だから、いろんな箱庭が出来る。
色んな箱庭を作れる-東京タワーで宇宙旅行、とか。

④文字言語や音声言語をもった動物は、飛躍的に可能世界を広げられる。
自在に組み合わせが出来るパーツを持ち歩いているようなもの。

⑤「ことば」がなければ可能性はない:可能世界で戯れさせてくれるものが「ことば」
→:世界を分節化するもの=ことば
積み木に代わるようなにかを持っていなければ。
私たちも、私を突き動かしてくるものに従って動かざるを得ないこともある。
環境から突き動かされたもので。

分節化-言葉でパーツに切り離す、その後また結び付けられる

⑥否定性は、現実と可能性とのギャップから生まれる
現実べったりの世界と可能性の世界の間に存在しているギャップが「ない」という感覚なのではないか。

*これは勝手に出てくるものではないか。世界は常に人間に、動物に否定する存在として現れる。
*再び「否定に言葉を添えなくても?」
また、言葉がついたことで、不本意ながら納得せざるを得なくなる、とかも。

「ない」という度に、可能性の世界に一瞬だけ飛んでいるんだけど、しかし多くの凡人はそれだけで終わってしまう。そこであきらめずに考えられた時に、考えた、と。
「ない」を確定してくれる言葉

⑦ことばがなければ考えられない:「ことば」は可能性の世界へと飛翔させてくれる翼
*行動は?良くニュースで使われる犯罪の動機「むしゃくしゃして」

さて、来週は、
無限に可能な世界に飛び立てる私たちだが、可能性だけの世界に行ったときにどうなるのか?
答えを先取りすると「行き詰ってしまう」

*体が考える、