2011年9月19日月曜日

人間・いのち・世界Ⅱ-1 宗教現象学(レーウ・オットー・エリアーデ)

1 151 *後期初日(だるい、そして学校が静かだ)


前期の、人間・いのち・世界Ⅰでは、大まかなガイダンスをしながら、
(実際には実存主義的な傾向が強いわたしの授業なのですが)
生きる意味とか、人間が人間として生きること、心の問題、身体の問題を
自然や環境とのかかわりの中で、
「私がわたしとなっていくこと」、結婚したり、家庭をもったりとか、
それをもとに家族、あるいは国家が形成されたり、
ということのヒントを差し上げながらやってきましたね。

そういったことを基礎におきながら、後期は宗教に少し焦点を当ててみたい。
前期もキリスト教として扱ってきましたが、後期は宗教そのものについて。

私が夏休みに読んだ本-『神様のカルテ』
(嵐の桜井君が主演している映画になった―)
今の医療の中で死を迎えることを考えさせられる本。
お医者さんが書いているんですよね。
実際にご自身が経験されたことを題材に-


なかなかいい小説でした。



80年代から90年代にかけての新新宗教のブーム。(「小さな神々」「心の時代」)
オウム真理教、幸福の科学、真如苑、統一教会
いくつかはカルトという風にも言われて社会問題にもなりましたが。
ところが日本の宗教事情は1995を境にガラッと変わっていきます。
(*あー、あの時中学の卒業式だったなー)
宗教を敬遠する風潮(宗教離れ)

しかし最近になって再びー
団塊の世代が死を意識するような年齢に-親の死、介護の問題
死が問題になるという事は「葬儀」「墓」の問題が。―お金がかかるといった問題。
・わたしは死をどのように向き合うのか。―お金とは関係のない問題-スピリチュアリティ
『わたしのお墓の前で泣かないでください』(千の風になって)
Youtubeでは『わたしはお墓にいます』という歌があるのですが-)

日本の宗教土壌
しかしお坊さんの中には「わたし達は死んだあとの事ですから」という方もいて-
病院なんかにいくと「まだ早い」といわれたりするような雰囲気。
*あー、そういうのはキリスト教の神父・牧師とはちょっと印象が違ったり
「宗教はよく死ぬことの予習」と
宗教がどのようにそこに関わるのか-スピリチュアルニーズ

日程と講義内容はこのプリントにあるとおりですがー

宗教ということを考える時にはいくつかアプローチがあります。
宗教現象学の立場
実際の宗教のありようを観察しながら考えていく手法
そうしたものを手がかりに今日は話を。

今でいうとまず出てくるのは-はじめる人がいる、ということですよね
「教祖」
で、そのヒトは何かを教えたに違いないわけで
「教義」
そこには何らかの活動
「宗教活動」
などが、一般に宗教というときに確認されがちなところですが-
しかし、まぁこれに当てはまらないものはたくさんあります(伝統宗教も含めて)
例えば神道に教義はあるのか?―無いと言える
アメリカで神道について書かれた本―「神道に教義はない、あるのは踊りだ、と」

宗教活動-幸福の科学も当初は集まりと言うものは無くって
-大川隆法の本を買った人は皆信者とカウントしていたと。
今はありますよ。駒込をおりて、聖学院高校に向かっていくところの右手の側に、
幸福の科学の教会がたっていて-今こういうものをつくっているんだなーと。
最近は政治的な運動も良くするようになっているようですが。
なので、教祖・教義・宗教活動というのは必ずしもこれがあるということでもない。



色んな宗教に対する研究。その中で、宗教現象学の研究のひとつに-
オランダの宗教学者-ファン・デル・レーウLeeuw1890-1950

この人、大変大事なことを言ってらっしゃるんですね。
宗教一般として共通項を見出すことは難しい- 
つまり「宗教一般なるものはない」―個々の宗教活動があるだけ
―ノミナリズム(唯名論)みなたいな事ですね


しかしその個々の宗教はただ別々というばかりではなく、
歴史的な産物なので影響しあうということがある。

例えば、
キリスト教はユダヤ教とは別のものですが、
それを母体に生まれてきたもので、伝統も引き継いでいる。
と、同時にイスラム教も同系列に挙げられますが別の宗教です。
ユダヤ教、キリスト教の影響の下にある。

ファン・デル・レーウによれば、
教祖・教義・活動がそろっているというのは限られたものでしかない。

教義を持たないということになると―わたしの専門は「教義学」ですが
教義―教え、信仰の内容がどのような体系を(一貫性を)持っているのか。
またどんな矛盾を抱えているか。その全体を見わたして、叙述をしているもの。
そうした分野を組織神学といいます。どんな組織=構造があるのかな、と。
例えば、「救い」ということの柱はなにか、とか。

しかしそうした教義というものを持たない宗教―アボリジニのビデオを見ましたね。
色んな考えがごっちゃに、無秩序にあって、でもそれで良いんです。

宗教ならではの、神概念、概念って言っちゃいけないですね
神観念
概念というとはっきり定義付けられたということになりますが、
それぞれの宗教に通じるという事になると概念としては言いづらい。
神、神々、一者…、「神」とはっきり言われるものばかりでもない。
デュナミス」と言われるようなもの―
呪力とも言われるような、エネルギー

自然にも人間にも見られる、しかし何か自然を超えるような、超越的な。
非常にプリミティブな宗教において
「神」という事にしだいに収斂されて捉えられるようになった。
デュナミス、デュナミズムとも言われますね。
そういったものが力を、影響力を持って、世界や人間の生が支配されているという感じ方。
聖書の中にも出てくるそうした感じ方は―「占星術」
イエスの誕生を祝う、東方の三博士―占星術の学者―オリエントの宗教
星の動きの中に人間の人生、世界に影響を持つ力がひそんでいる、と。
天体の動きの中にデュナミスがあって、それが影響を及ぼしていく。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
復習―人間・いのち・世界Ⅰ-14
八百万の神、アニミズム的な信仰―人間、自然をすべて含み、包むような力をもつ。
デュナミスという言葉で語られることもありますが。多神教。
絶対的な存在に対する信仰よりも、ずっと「連続性」を大事にする信仰と言える。
例えば、ヒンドゥなどもそうですね。
そうした信仰、わたし達の生と死に深い力を及ぼすものとして信じられてきた
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【辞書】デュナミス(dynamisギリシア)
力・能力の意。ラテン語のpotentia)アリストテレスの哲学における重要な概念で、可能態と訳される。質料に内在し、発展して係争を実現しうる可能性。その現実化したものがエネルゲイア(現実態)



ルドルフ・オットー(ドイツの宗教学者、ルター派、1869-1937

【辞書】宗教の心理と歴史を主に扱い、宗教の本質を合理的哲学から区別した。宗教における理性以外の要素を重視、神の絶対他者性を「おののかせる秘儀とし、それに対する人間の根源的情動を、そこから逃れようとする「拒否」と、そこへ引き寄せられる「魅惑」との入り交じったものとして捉え、これらを総括して聖das Numinoseと呼んだ。「聖なるもの」は非合理的な宗教体験の哲学的・心理的分析の試みとして現代の宗教研究に大きな影響を及ぼした。
・主著「聖なるもの」(1917

信仰者の中にあるのは「聖なるものの体験」=ヌミノーゼ(das Numinose)
宗教心、宗教を信じる際に起こっている体験。
この聖なるもの体験には二つの種類がある。それが別々にではなく両方ある。
二つの種類というよりも、2つの性格といったほうが良いかもしれない
(日本語では秘儀と言われたりしますが
・戦慄すべき秘儀(おののかせる秘儀)
・魅惑する秘儀

二重の体験が宗教者の実存の中に起こっている、と。
壮大な山々を見たときにもこのような2種類の感情が―
戦慄すべき―被造物体験
魅惑する―法悦

宗教には具体的に対象があるわけではない。
仏像を目の前に置きつつも仏像を拝んでいるわけではない。

日本人で言うと、お伊勢参りの際の西行がこんな歌を残しています。

なにものの おわしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる

「かたじけなさ」、荘厳な神社によって―
恵まれた」というような感覚ですよね。
これはオットーの聖なる者体験の一つの表現であるかな、と。


3番目に―
ミルチャ・エリアーデ(ルーマニア、1907-1986
【辞書】ルーマニア生まれの宗教史学者・文学者。インドに留学し、ヨーガを研究。第二次大戦後はシカゴ大学教授。神話・象徴・儀礼を通じて幅広く世界の宗教思想を研究。著「永遠回帰の神話」「シャーマニズム」など。 

同じように宗教現象学、そこで起こっている事柄、原初宗教の研究から
ヒエロファニー(顕現)つまり、聖なるものが現れる。「聖なるものの顕現
これが宗教を形づくっていると。
オットーが宗教者の体験、実存の側面を強く見ているのに対して、
「聖なるもの」が現れるという事があるんだと。

このヒエロファニー(顕現)によって、世界に秩序や調和がもたらされる
(ここに軸がおかれたaxis)世界にがおかれた、というような体験をする。
その調和が広がっているところがコスモス(人間の済む世界)、その外は⇔カオス。
顕現が起こって世界が作られた=もっとも調和の取れた状態(『光あれ』)
しかしそれが崩れてくる―人間が生まれたことによって。
なんか人間ってすげーなー
仏教で言うと、正法、像法、末法(三時思想、末法思想)
(教(教説)・行(実践)・証(結果)のそろっている正法の時代1000

コスモス→カオス。その時に大事なのが、顕現を再体験すること。
それによって秩序が改められてくる。
実際に説明に使われたものとして、
狩猟民族が狩をする、獲物がしとめられた=恵が与えられた。
ここに神が現された、祭壇をつくって獲物を屠る。神の顕現に対する祭り。

(終鈴)

2011年9月16日金曜日

生理心理学レポート

W. Dement「The Effect of Dream Deprivation」のまとめ


◆とりあげた研究


◆目的

 デメントは、1950年代にアゼリンスキーらによって、人間はレム睡眠中に夢を見ることが発見されたことを受け、夢の基本的機能とその意義についての研究を行なった。本研究は「夢が部分的に、または完全に抑圧されたとしたら、人間にはどのような変化が起こるのか、また「夢は精神上あるいは生理上、必要なものだと考えるべきか」を明らかにすることを目的に行なわれた。

◆方法

実験には8人の被験者があつめられた。すべて男性、年齢は23歳から32だった。被験者はいつも眠る時間に実験室に来て、脳波パターンと目の運動を調べるための電極が頭皮と目の周りに取り付けられ後、睡眠をとった。被験者はこの実験期間中は、他の時間に眠らないようにと指示されているその間に夢を見ることを防ぐためである。

 実験の最初の数日間は、被験者にいつもどおり一晩中眠ってもらった。これは各被験者の通常の夢の量と全体的な睡眠パターンのベースラインを知るためである。

 次の段階では、被験者がレム睡眠に入るのを妨げた。その後数日間、電極から被験者がレム睡眠期に入ったことが分かる度に、被験者を目覚めさせた。被験者は再び眠る前に、数分間ベッドの上で起き上がり、しっかりと目覚めていることを示さなくてはならない。デメントは当初、鎮静剤を使用して夢を見ることを妨げようとしたが、薬が夢を見るパタンに大きな影響を与えすぎため、有効な結果を得ることができなかった。したがって、夢を見ることを妨げるために、一晩中、被験者がレム睡眠に入るたびに目覚めさせるという方法がとられた。

夢を見ることを妨げる期間が終わると、被験者は回復期間へと入る。被験者には中断無く眠ってもらうが、この期間の睡眠においても電極によ観察続けられ、夢を見た量も記録される

被験者は数日間の休み、再び睡眠中に目覚めさせられる実験を受けた。最初と同じ長さの期間各被験者が一晩あたりに目覚めさせられる回数も、最初の実験時とまったく同じにした。しかしこの期間は、夢を見ることは妨げられないように、被験者のレム睡眠が自然に終わった時点で目覚めさせた。

最後に、前回と同じ日数の回復期間を再び与えた。これは対照としての実験であり、研究結果が単に夜中に何度も起こされたために起こったのではないことを明らかにするためのものである

結果

    【参照:心理学を変えた40の研究(2007)】     

ベースライン期間中の平均睡眠時間は6時間50分、夢を見ていた時間は平均80分で、睡眠全体の19.5であった。

レム睡眠を妨げた最初の晩に被験者を目覚めさせた回数は722だった。しかし実験が進むにつれ、被験者を目覚めさせなくてはならない回数が増えていった。この期間の最終日の目覚めさせた回数は13回~30回であった。

また、幾晩か夢を見ることを妨げられた後、被験者が夢を見る時間増加した。表の項目4(回復期の夢見時間)の数値は回復期の最初の晩の数値である。この晩、夢を見ていた時間は平均して112分、全体の26.6である。デメントは、このうち2人の被験者はレム睡眠の時間がそれほど増えなかったと指摘している。この2人を除外して計算すると、夢を見ていた時間の平均は127分、29%となる。ベースライン期間の平均と比べるとおよそ50%の増加となる。また、ほとんどの被験者は、続く5日間の回復期間中引き続き高い数値を示したことが確認されている。

対照回復期においては、夢を見る時間88分、全体の20.1と、ベースライン期間からの増加は見られなかった。

最後に、8人の被験者に対して、レム睡眠が妨げられたことによって行動に変化が起きたかが調べられた。被験者全員が、レムを妨げた期間中、不安、いらいら、集中できないなどの症状を経験していた。被験者のうち5人は、その期間中に食欲が増したと訴え、このうち3人は、1.5kgから2.5kg体重が増加した。このような症状は対象回復期には全く見られなかった。


考察

デメントは以上の結果から、私たちには夢を見ることが必要であると仮の結論を出した。夢ることを妨げていくに従って、夢を見ようとする作用が起きる回数が増加したことと、夢を見る時間が増加したことに示されるように、人間には夢を見ようとする欲求があると考えられる

彼は更に、夢を見る時間の増加は数日にわたって見られ、妨げられた夢の時間分を補う結果になることを発見した。(これは、後にレムリバウンド効果と呼ばれるようになった。

◆感想

 この実験が行なわれた1960年と現在では、睡眠に関して知られていることに大きな差がある。しかし、本実験の結果に対して「人間には夢を見ることが必要である」と言いえるかには疑問があると感じた。人間の体は、レム睡眠を妨げるとそれを取り戻そうとするということからは、「人間にはレム睡眠が必要である」ということしか言えないのではないだろうか。(この時代には、レム睡眠は夢としか関連付けられていなかった、ということなのだろうか)現在であれば、レム睡眠中に脳内でより多くのタンパク質の合成が行なわれ、これと記憶のメカニズムが関係しているという観点からこの研究結果を解釈できると思われる。そのように考えると、当初デメントが目的とした「夢は精神上あるいは生理上、必要なものだと考えるべきか」を明らかにすることは技術的な難しさがあることに気づかされる。 

 
【参考文献】

【本】『見える暗闇-狂気についての回想』

ウィリアム・スタイロン=著 大浦暁生=訳 新潮社(1992
DARKNESS VISIBLE by William Styron  (1990)



・本書は19895月、ボルティモアで開催されたジョンズ・ホプキンズ大学医学部精神医学科主催の「感情障害に関するシンポジウム」で行った講演を端緒とする。講演原稿は大きく書き足されてエッセイになり、その年12月に『ヴァニティ・フェア』誌に発表された。

見える暗闇

大いに恐れていたものが、
身にふりかかってきた。
こわがっていたものが、
わが身にやってきた。
安全も休息もなく、
平静もなかった。
ただ苦難だけが来た。
(ヨブ記)

・(書き出し)パリで、198510月末のある寒い日の宵、わたしは精神の不調とのたたかい(ここ数ヶ月間たずさわってきたたたかい)が地名的な結果をもたらすかもしれない、と初めて完全に意識下。その啓示の瞬間は、乗っていた車がシャンゼリゼからさほど遠くないアメにすべる街路をくだってゆき、「ホテルワシントン」と読めるにぶく輝くネオンサインのそばを通り過ぎたときにやってきた。このまえにそのホテルを見たのは35年近く前、1952年の春で、パリで始めてのねぐらとして過ごした。

P27・このような(うつ病に対する)無理解はふつう共感の欠如によるものではなく、健康な人びとが日常経験とあまりに異質なこの苦痛の形を、基本的に想像できないことによる。わたし自身にとっては、この苦痛は水におぼれることや喉をしめつけられることともっとも密接に結びついているが、この連想ですら的外れだ。長年のあいだ鬱病とたたかったウィリアム・ジェイムズは適切な描写をさがすのをあきらめ、『宗教的経験の諸相』を書いた時、描写が不可能に近いことをこう暗示している。「それは絶対的で活動的な苦痛だ。通常の生活にはまったくわからない一種の精神的神経痛だ」

P36・この事件(*カミュに死をもたらした自動車事故)の推理には、カミュの著作に見られる自殺のテーマを振り返ってみることが避けられないだろう。今世紀のもっとも有名な知的発言の一つが『シジフォスの神話』の冒頭にある。「真に重大な哲学的問題はただひとつしかない。それは自殺の問題だ。人生に生きる価値があるかないかを判断することは、哲学の基本的問題に答えることになる」初めてこれを読んだ時わたしは当惑して、そのエッセイを読み進めながらほとんどそのことばかり考えていた。

P58・(Ⅳ書き出し)この病気で気分が落ち込むのを初めて意識した時、わたしは何にもまして、鬱病を表す「ディプレッション」(depressionという語に強い反対の意志を示す必要があると感じた。ほとんどだれもが知っているように、鬱病は以前は「メランコリア」(melancholiaと呼ばれていたが、「メランコリア」は早くも1303年に英語に登場し、チョーサーにも一度ならず顔を出している。チョーサーはその語の病理学的なニュアンスをよく承知しながら使っていたようだ。「メランコリア」はいまでもその病気の暗黒の形態をうまく暗示するはるかに適切な単語と思われるが、経済の不況や地面のわだちにも無差別に使われる、荘厳な存在感を欠く平凡な音調の名詞に場を奪われてしまった。このように重要な病気をあらわすには、ほんとうに力の弱いことばなのだ。現代にその語を普及させたのは概して科学者に責任があるといえよう。ジョンズ・ホプキンズ大学医学部教授でその道の権威者、スイス生まれの精神医学者アドルフ・マイヤーは、英語の繊細優美な音のリズムを理解する耳がなかった。だから、こうした荒れ狂う恐ろしい病気を言い表す名詞として「ディプレッション」を提示し、そのために与えた意味論上の損害に気づかなかった。
(略)
 極度に激烈な形でその病気に苦しんだものの、また戻ってきて体験談を語っているわたしとしては、ほんとうに人の心をつかむ名称を広める運動に乗り出したい気持ちだ。たとえば精神錯乱を意味する「ブレインストーム」(brain-storm)という単語は、いくぶんおどけたニュアンスで知的な霊感を表す意味を不幸にもあらかじめ持っている。しかし、この語の線に沿って精神状態を表現することも必要なのだ。人の感情の障害が高まって「ストーム」、つまり脳の中でほんとうに吼え叫ぶあらしのじょうたいになったと言われれば(実際、現実の鬱病はまさしくこういった状態に近いが)、どんなに無知な一般人でも「ディプレッション」がよびおこす標準的な反応よりもむしろ同情の気持ちを示して、「それがどうした」とか「きっと回復するよ」とか「みんなひどい気分の時があるんだから」とかいった励ましのことばをかけるだろう。神経の崩壊を意味する「ナーヴァス・ブレイクダウン」(nervous breakdown)という連語は問題解決を探る道の途中にあると思われるし、背骨がなんとなく失われたような気持ちを暗示するからたしかにそれに値することばだが、もっとしっかりしたいい名称が創造されるまでは、わたしたちはまだ「ディプレッション」を背負わされたままの運命にあるらしい。

P65・問題はその夏の初めごろ、アルコールに裏切られたことだ。それはまったく突然、ほとんど一夜のうちに襲ってきた。もう一滴も飲めなくなったのだ。まるで肉体が精神とともに抗議のため立ち上がり、長いあいだ歓迎もし、もしかしておそらく必要にもなっていた毎日のこの気分回復を、共謀して拒否したかのようだった。(略)心を慰めてくれたその友人は、真の友がするようにいやいやながら少しずつ見放したのではなく、一発で撃ち殺すようにわたしを棄てた。わたしは興奮したままアルコール抜きで、どうしていいかわからなかった。

 自分の意志で、或いは自ら選んで、禁酒家になったわけではない。その状況はわたしには困惑だったが、また心を傷つけるものでもあった。酒が飲めなくなったときから鬱病状態が始まった、とわたしは考えている

(略)
だれもが知っているように、アルコールには大きな意気消沈効果がある。けれども、酒を飲んでいるあいだは実際にそれで気分が沈みこんだことは決してなく、かえって不安感に対する楯として働いていた。長い間魔物を追い詰めていた大きな盟友が突然姿を消し、その魔物たちが潜在意識の中に群がってくるのをもう防げなくなったのだ。わたしは情緒的に身をはがれ、これほど傷つきやすい姿になったことはなかった。長年にわたって鬱病が身辺を飛びまわり、襲いかかろうと待ち構えていたことは疑いない。雲に反射する淡い稲光のかろうじて知覚できるかすかな光にも似た前触れとはいえ、いまやわたしは鬱病の黒いあらしの第一段階にあった。

P74・先代から受け継いだ数多くの苦悩という鋸の歯先を鈍らせたい現代人の気持ちはおそらく理解できるものだが、その必要から現代人は耳に障る古風なことばを追放してしまった。マッドハウス(精神病院)、アサイラム(精神療養所)、インサニティ(精神異常)、メランコリア(憂鬱症)、ルーナティック(狂人)、マッドネス(狂気)などのことばだ。しかし、鬱病の極端な形が狂気だということを疑わせてはならない。狂気は異常な生化学的過程の結果として起こる

P87(うつ病の起源として)たしかに一つの心理的要素だけは妥当な疑問の余地もなく認められている。それは「喪失」の概念だ。あらゆる形で表れる喪失は、病気の進行の点でも、またきっとその起源の点でも、鬱病の試金石なのだ。もっとあとになって、幼少時代の破壊的な喪失がおそらく障害の主要な起源だろうといわれれば、わたしはしだいに納得することになろう。当面は自分の退化する状況を点検してみて、あらゆる面で喪失があるのを感じた。自尊心の喪失は良く知られている症候だが、わたしも自我の意識が自己への信頼ともどもほとんど消えうせていた。この自立の喪失は依頼心へと急速に堕落することが可能で、依頼心から幼児的な恐怖心へと進む。近くて親しいすべての人とすべての物の喪失を恐れるのだ。棄てられることに対する鋭い恐怖がある。一瞬でも家の中にただひとりいると、急激な突発的恐怖と戦慄を感じる。

P113・ある人びとに効果的だとわかった考え方の名誉を傷つける気は決してない。しかしグループ療法はわたしには心がいらだつだけで、なんの効果もなかった。たぶん、不愉快にとりすました若いヘボ医者が指導していたからだろう。この男はスペードの形をした黒い顎鬚を生やし(若きフロイトか?)患者たちが陥ったみじめな状態の種を吐き出させようとして、交互におだてたりおどしたりする。キモノふうの部屋着をつけ髪にカーラーをまいた孤独な女性患者たちを一人二人泣かせてしまうこともときにはあったが、この男はそれできっと満足している。(病院のほかの精神科医たちは如才なさや思いやりの点で模範的と思われた)病院では時間は重くよどんでいる。グループ療法のためにわたしが言えるのは、せいぜいそれが時間つぶしの一方法だということだ

 芸術療法についても多かれ少なかれ同じことがいえる。これは組織された幼児化だ。わたしがはいったクラスの担当は熱狂的な若い女性だったが、型にはまった微笑を飽きもせずうかべ、「精神障害者に対する芸術教授法」の授業を解説している学校で訓練されたのは明らかだった。ごく幼い知能遅進児の教師でも、思慮ある指示を与えもしないでこんなオーケストラ伴奏つきのクスクス笑いやクックッ笑いをふりまく必要はなかっただろう。長く巻いたつるつるの壁紙を広げて、この女の先生は患者の生徒たちに、クレヨンを出して自分で選んだテーマを表す絵をかくように言う。たとえば「わたしの家」だ。屈辱的な怒りをおぼえながらわたしは指示に従って四角形をかき、それにドアと四つのやぶにらみな窓をいれ、上に煙突をつけてくるくると渦巻く煙を出させた。先生はほめ言葉を浴びせ、何週間かして健康が向上してくると、わたしの喜劇精神もまた向上してきた。造型用の色粘土を幸福そうにいじくりはじめ、まず、歯をむき出した緑色の恐ろしい小さなしゃれこうべを作る。それを見て先生はわたしの鬱病のみごとな複製だと言明した。それからわたしは回復の中間段階をへて、ふっくらしたバラ色の顔に「きょうもお元気で」とほほえみをうかべたケルビム天使のような頭の造型へと進んだ。それがちょうど退院のときと一致したから、この造形物は先生をほんとうに大喜びさせた(わたしはわれしらずこの人が好きになっていた)。先生の話ではそれは回復を象徴的に表すもので、病気に対する芸術療法の勝利を示すいま一つの例にほかならなかったからだ。

P117・(Ⅸ書き出し)どんなに激しい鬱病を経験する人びとでもそのきわめて大多数が生き残り、鬱病にかからなかった人たちと同じく幸福にその後も生きつづける。あとに残るある種の記憶の恐ろしさを別とすれば、急性の鬱病は永久的な傷をわずかしか与えない。一度精神をあらされた者のかなり多数、約半数もの多数がふたたび襲われるという事実には、シジフォス的な苦痛がある。鬱病は再発する傾向があるのだ。しかし大部分の犠牲者はこの再発をも生きぬき、過去の経験を心理的に生かしてこの悪鬼を扱うから前回よりもうまくたたかう場合が多い。非常に重要なことは、鬱病の包囲攻撃に苦しむ人、たぶん初めて苦しむ人たちに、病気が自らの道を走り患者は病気を切り抜けられると話す、いやむしろ納得してもらうことだろう。この説得はつらい仕事だ。溺れている人に向かって岸の安全な場所から「顎をあげて!」と叫ぶのはほとんど侮辱にも等しい。だが何度も何度も実際に示されてきたように、もし激励が執拗に続けられ、支援も同様に精力的で情熱的であれば、危険に陥った人はいつも救うことができる
(略)
 鬱病にかかりはじめたその夏、親友の有名な新聞コラムニストが思い躁鬱病で入院した。秋になってわたしの症状が悪化した時、友人の方は回復し(リチウムの力が大きいがその後の精神療法にもよる)、二人は毎日のように電話で話し合った。友の支えは疲れを知らない貴重なものだった。自殺は「容認できない」と(前は強い自殺志向があったのに)わたしを戒めつづけたのはこの友だったし、入院の予測をそれほど恐ろしい身もひるむものだと思わせなくしたのも、この友だった。その心づかいをわたしはいまも大きな感謝の気持ちで振り返る。わたしに与えていた助けは自分にとっても治療の継続となっていた、と友はのちに語った。ほかならぬこの病気が永遠の友情をはぐくんだわけだ。
*ピア・カウンセリング、Nirvana


P122わたしの病的な状況はごく幼い頃から進行していた、といまは信じている。父からも受け継いだものだったのだ。父は人生の長い期間をこの怪物と戦い、わたしが幼少のころきりもみ状態で気分が落ち込んだあと入院したが、振り返ってみるとわたしの場合に良く似ていた。鬱病に遺伝的な根があることは、いまでは論争の余地もないようだ。しかしいっそう重要な要因は十三歳のとき母が死んだことだと納得している。この心の乱れと幼い悲しみ、思春期中かそれ以前に親の、とくに母親の死亡や失踪に遭遇したことは、ほとんど回復不可能な情緒的大混乱をつくりだすときもあるような傷として、鬱病の文献に繰り返し現れる。危険がとりわけ明白なのは、「不完全な喪」と名づけられたものにその幼少の人物が影響され、悲しみのカタルシスを事実上達成できていない場合だ。その場合はのちのちまで自分自身の中に耐えがたい重荷を背負うことになるが、その重荷には抑圧された悲しみだけでなく怒りと罪悪感が含まれ、自己破壊の潜在的な種となる。

 自殺に関する啓発的な新しい書『約束の地での自己破滅』の中で、精神科医でなく社会史家のハワード・I・クシュナーは「不完全な喪」の理論を説得力ゆたかに主張し、エブラハム・リンカンを例に挙げている。リンカンの熱病的な憂鬱の気分は伝説的だが、青春時代に自殺への心の動揺にしばしば見舞われ、一度ならず自分自身の生命をあやうく奪いそうになったことは、それほどよく知られていない。その行動は九歳のとき母ナンシー・ハンクスが死に、さらにその十年後に姉の死で言い表せない悲しみがいっそうつのったことと、直接に結びついているようだ。努力して自殺の回避に成功したリンカンの記録から洞察力あふれる見方を引き出して、クシュナーはリンカンの場合を幼児の喪失が自己破滅的な行動を促進するという理論の有力な実証とするばかりでなく、幸運にもその同じ行動が当の人物を罪悪感と怒りの問題に取り組ませ、自ら望む死にうちかつ戦略になるという事実をも納得させる事例としている。このような和解行為は不滅への探求と絡み合っているかもしれない。リンカンの場合は小説家の場合と同様、後生に賞賛される仕事をとおして死を征服しようとするのだ。