とりあえず落ち着いたところで
自分で作ってみた質問に答えてみる。
・「自殺行為」「死にたい」を願望としてキャッチすることはあり得ないのか?
それが願望の場合、治療空間においてどのように介入するべきか?
-「死にたい」ではなく「生きたい」をキャッチして介入していくのが基本
・「死にたい」を常に「助けの求め」とキャッチするなら、
クライエントの話を聞くって一体何?
クライエントの話を聞くって一体何?
-「死にたい」をキャッチするのならば、
「生きたい」もキャッチしないとバランスが取れないし、
「生きたい」もキャッチしないとバランスが取れないし、
クライエントをいかにして「生きたい」に持っていけるかということこそが
治療ということ。
治療ということ。
ということになるのかもしれないな。
いや、うん、クラスでの話をもう少し頭に残しておけば、
質問する余地のない問いだったかもしれない。
あるいは、そもそも
それだけ「死にたい」ということが出てくる背景には
「生きたい」があったはずでしょ?と。
「(かつてあった)欲求に気づかせる」という話も前回あったな。
あるいは、そもそも
それだけ「死にたい」ということが出てくる背景には
「生きたい」があったはずでしょ?と。
「(かつてあった)欲求に気づかせる」という話も前回あったな。
精神分析的な治療からは離れたことになるのかもしれないが、
例えば「死にたい」という言わば
「表のあらわれ」に共感的に寄り添うことで
「表のあらわれ」に共感的に寄り添うことで
クライエント自身が死や否定的感情についての洞察を深める、
ということにはならないだろうか。
ということにはならないだろうか。
その場合「自殺は絶対許されない」と予めクライエントに伝えることは
逆効果になるのではないか。
逆効果になるのではないか。
-これに関してのほうが、まだ先生には聞きようがあるのかもしれない。
たとえば、クライエントが「生きたい」というのを認めることは
防衛を解除して言わば「全面降伏」をさせるようなことなのではないか。
ということであれば、すごく技術的にも難しい場合があるだろうし、
長い年月がかかることになるのだろう。
長い年月がかかることになるのだろう。
また、最終的にその「全面降伏」を出来ないクライエントもいるだろう。
(それはセラピスト/カウンセラーが未熟なだけか?)
(それはセラピスト/カウンセラーが未熟なだけか?)
ということからの-
「自殺をすることは許されない」と伝えることと、
クライエントの中にある「生きたい」に気づかせることの、方向の食い違いが、
治療を難しくさせるのでは?という聞き方。
治療を難しくさせるのでは?という聞き方。
その「許されない」とすることによって、「死にたい」を陰性反応にしてしまうし。
自分にとっては、
「生きたい」を見つけ出して、
その気持ちにクライエントをリードさせるということが、
うまくイメージできない、というのもある。
「生きたい」を見つけ出して、
その気持ちにクライエントをリードさせるということが、
うまくイメージできない、というのもある。
「死にたい」に沿っていくのは間違いか?
あるいは、「死にたい」ことの理由をたどっていくうちに、
なぜ死ななきゃいけないか、ということに対する「怒り」が感じられるようになって
そこから自然と「生きる」方向に向く。
と、いうのが治療の機序だとすると
先生が言っていっていたことと
自分がいま考えていることとは結局同じことなのか?
あるいは、「死にたい」ことの理由をたどっていくうちに、
なぜ死ななきゃいけないか、ということに対する「怒り」が感じられるようになって
そこから自然と「生きる」方向に向く。
と、いうのが治療の機序だとすると
先生が言っていっていたことと
自分がいま考えていることとは結局同じことなのか?
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