2010年7月28日水曜日

神学通論レポート オリゲネス「諸原理について:序文」

オリゲネスの『諸原理について』の「序文」の内容を解説しなさい。 
2000字

神についての学問的、体系的考察である神学の中核であるところの組織神学。オリゲネスが著書「諸原理について」で明らかにしていることはその組織神学のそもそもの出発点である。

オリゲネスは23世紀にかけてアレクサンドリアで活動を行ったキリスト教の教父であり、新プラトン派の思想とキリスト教とを結合して体系的な神学を作り上げた神学者である。

当時のキリスト教の社会的地位は現在と異なり、神学者は周囲に異教徒があふれる環境の中で、キリスト教信仰についての説明、提示を行うべき立場に置かれていた。「諸原理について」もまた、キリスト教信仰の総体を、一貫性を持った方法論的前提のもとに述べようとしたものであり、このことは教会内部に向けては、自らの信仰を綿密に問い直す契機でもあった。これ以降に書かれる組織神学、教義学に関する書物はオリゲネスの提示した様式に従って書かれていると言える。
特に重要な部分はその序文において示されており、ここには教義学の方法論的原則が述べられている。
教義学の課題は、キリスト教信仰を体系的且つ客観的な形で示すことである。こうした条件をみたすには、あらかじめ方法論的に厳密なやり方でなければ、全体をゆるぎなく書き進めることは出来ない。

そのような形で示された「信仰の基準」は公的な判断にかけられた上で、信条・信仰告白へと発展していく。信条とはもっとも圧縮したかたちで表された信仰の総体であり、これを除けば最早キリスト教信仰とはいえないという究極の要素だけを取り出したものである。西方教会が伝統的に受け継いでいる信条は、古典信条と呼ばれる3つの信条、つまり使徒信条・ニケア信条・アタナシウス信条である。こんにち我々が組織神学と呼んでいるものは、信条において圧縮された信仰についての説明であるとも言える。つまりオリゲネスの「諸原理について」を読むということは、こんにちまで続くキリスト教信仰の基盤に立ち返ることである。

「諸原理について」の序文は大きく十の項目に分けられている。
その第一項ではまずイエスの言葉、並びにその教えからのみ真理がもたらされる事が明らかにされている。しかしこれは受肉したイエスひとりの言葉を指すのではなく、神のロゴスであるキリストは旧約時代の預言者たちのうちにも存在していたことが示されている。このことはオリゲネスのみならず当時の信徒たちのゆるぎない確信であり、こんにちでは旧約のキリスト論的再解釈と呼ばれる。

次いで第二項ではオリゲネスがそもそも神学をどのように考えていたかが端的に示されている。
「使徒たちから受け継がれ、今に至るまで教会のうちに保たれている教会の教えこそ保存されているのである。したがって、教会的・使徒的伝承と食い違っていないことだけが真理として信ずべきものである」
使徒たちがすべてのことを詳細に伝えたわけではないことを認めつつも、それは後継のものが探求する分野を残すためであるとした。オリゲネスは教会の権威を最後まで守ろうとし、これこそが神学の中身だと考えていた。こんにちでも、神学が公のものであって、学問的規範に耐えうるものでなければならないと考える人にとっては等しく合意されるところである。

第四項では、天地の造り主、全能の父である神を信じることは使徒たちの教えによって伝えられたことが、まず示される。これは使徒信条の第一項と重なる箇所である。次いでイエス・キリストは全ての被造物に先立って、父から生まれた真なる神であると同時に、我々と同じ肉体を持つ真なる人間であることが示される。これはキリスト論の中核となる考え方である。更に聖霊が「あらゆる聖なる者に、つまり預言者たちにも、使徒たちにも霊感を与えたこと、また、旧約の人々のうちにあった霊が、キリスト到来以降、霊感を受けた人々のうちにあった霊とは別のものではない」とし、使徒たちの教えに照らしても聖霊は父と子に一致しているとした。このことはオリゲネスのもとで三位一体的な信仰が成立していることを示している。

更に第五項では復活について、第七項では終末論について、第八項では聖書は字義的な解釈にとどまらず、霊的な意味を見出すための比喩的解釈が必要であることを示している。

結論
「諸原理について」の序文においては、こんにちの組織神学に通ずる方法論的原則をもって、キリスト教信仰の総体を体系的に提示することが試みられている。

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