2011年7月22日金曜日

質的研究法/分析ワークシート

 
【概念】
「過去と連続する自己」の発見体験


【定義】
以前の生活と連続している自分を発見することによる安心体験。


【具体例】
Tさん-1)私は働くことが好き、ずっと働いてきたんです。だから、そういうふうに暮らせば良いんだってピンと来たんです。
Tさん-2)この間出たひじきの煮物には驚いた、味付けが私のと一緒、中身もニンジンや揚げなんか中身も一緒、全部一緒だったんですよ。
Tさん-3)色々な仕事、老人クラブの役員、毎月の葬式、奉仕。第2の人生が始まったような気がした。
Wさん-6)今までは団地に居て、周りの人と笑って話をしていたのに、ぼっとした顔ばかり見ているから、自分がぼっとしたような感じがするんですよ。
Wさん-7)(陶芸を)考えて作っていると、自分が普通の人間になってやれるでしょう。
Wさん-9)陶芸をやったり、お習字をやったりして、自分の心をしっかりと戻さないといけないと思っています。
Mさん-3)呆けた人と一緒にいるとまずい、自分も引きこまれては大変だ、自分を取り戻さないといけないと思った。
Sさん-3)ここの庭におだまきがあって、それは岩手の花だから、懐かしいね。
Hさん-4)法話を聞いたら、宗旨が同じなので嬉しかった。なにか不思議な感じがする。

【理論メモ】
・異なる環境の中で、これまでと同じことをする/これまでと同じような感覚を得ることは難しい。何をすればそう感じられるか分かるだけでも希望が生まれる。
・周囲の環境に、これまでの生活と同じもの(おだまき・宗派)を見つけることは入居者に安らぎをもたらす。
・周囲に病気(認知症)を持った人が多いことや、葬式が多いことは、これまでの生活と大きく異なる点であり、不安感の原因となりうる。
・特養自体にネガティブな意味での「普通ではない場所」という認識があり、そこに入所している自分自身もまた「普通ではない人」なのではないか、という不安感が生じる。それ故にできるだけ自分の健康や心理状態を「元に戻そう」という意識が生まれる。
・これまでの生活の中で好意的な感情を持っていたことを特養でも出来ることは励みになる。
・(Tさん-3)における「第2の人生」は、異なった環境においても、これまでのように「働く」ことが出来ている、という自尊心から出た言葉ではないか。
Tさんの働いている中身や、Wさんの陶芸は、これまでの生活で行われていたことと全く同じではない。しかしそのことで以前の生活との連続性を感じられているのではないか。以前と同じように働ける自分、以前と同じように普通である自分、の発見。そのことが安心感につながっている。
・(Wさん-9)の「自分の心をしっかりと戻さないと」、(Mさん-3)の「自分を取り戻さないと」という言葉には、環境に左右されず自己の連続性(=自己同一性と言えるか?)を保持したいという希望と、一歩間違うとそれが危うくなりそうだという危機感があらわれている。

 
【概念】
「終の棲家」認識


【定義】
自分が安心して死を迎えられる場所であることを受け止める体験


【具体例】
Wさん-6)ここで死んでいくんだからね。一生懸命に慣れてね、ここに居ようと思いましたね。
Wさん-13)一生終わるまでそうしていかないと。中にはいろいろいう人がいますからね。そうやっていきます
Wさんー11)私は先行き安心になりました。今までは、ここで一生、死んでいくのかなあとなんとなく思ったですが、そういうことは考えなくなりました。
Mさん-3)ここに来て驚いたのは、死ぬ人が多いこと。寺に毎月、黒服を着ていったもの、今月は3回目だとか、また死んだよとか。
Tさん-1)入ってみたら、建物の大きさ、140人いりで、広いのに驚いた。ここが安住の地だと思って嬉しかった。そのときすぐに思った。安住の地。ここだとピンときた。


【理論メモ】
・以前の生活と比べて、特養では自分の周囲の人が亡くなる体験が増える。
・入居者自身がこのホームで死を迎えることになるかもしれない、という見通しを持っている。
・(Tさん-1)の「安住の地」は、終の棲家、人生の最後をここで過ごせそうでよかった、という安心感をあらわしているのではないか。
・(Wさんー11)ホームでの生活に適応できるようになったことが、死の不安感を和らげているのではないか。そのことで自分はここで死んでいくということを考えすぎずに済む。
・死は誰にとっても避けがたいものであるが、高齢者にとってはより身に迫った問題である。特養という環境においては自分の知り合いが死を迎える体験も増える。しかしホームの生活に馴染むことで、過度な不安に陥ることは避けられる。逆に考えると、生活上の不適応は、死への不安感を必要以上に引き寄せてしまうことにつながりかねない。




 
【概念】
子供と暮らせなくたって幸せ体験


【定義】
子供と離れて暮らすことをポジティブに受け入れる体験


【具体例】
・(Sさん-5)(床に溢れさせてしまった汚物を)全然怒らないで、さっと拭いてきれいにしてくれた。すごい臭いがするのよ。それなのに嫌な顔をしないでしてくれて、(中略)娘にだって、とても出来ないことなのよ。
・(Hさん-1)病院を転々として…。子供に言ってやる、親を捨てたと。
・(Hさん-4)ここの創立者は貧しい人や少年を助けたひとらしい、そういう起源なら安心だ。
・(Wさん-8)息子が「お母さんの作ったカップで飲むとビールが美味しい」と言ってくれます。あと6個作ってやろうと思います。
・(Wさん-10)諦めも肝心だし、現実を見てね。子供は子供、親は親で別になっていくんですから、つまんない事を思っていちゃいけないと思います。


【理論メモ】
・家族と離れてホームで暮らすことをさみしいく感じる人がいる。ともすると、そのことを恨みがましく考えてしまうこともある。
・(Sさん-5)「娘にも出来ないこと」をやってくれるスタッフのいるホームにいることを幸せなことと捉えているのではないか。つまり、ある部分では家族以上のことをしてくれる人と一緒に生活できることの幸せ。
・(Wさん-10)の「つまんない事」とは、子供と同居をして介護される事を指しているのだろうか。
・(Hさん-4)の安心感は、創立者を「家族以外の人に対しても親身になって世話をする人」と捉えた上での安心感と考えられないだろうか。そのようなホームで暮らせることは「親を捨てた」子供と暮らすことよりも良い事という納得につながるのかもしれない。
・(Wさん-8)離れて暮らしている家族との交流が生活の張りになっている。
・介護保険制度導入の際の議論を考えてみても、家族で老親の面倒を見るという考え方を美徳とする人も一定人数いる。そのような考え方の人にとって、特養に入ることは自尊心を傷つける体験となってしまう可能性がある。しかし、子供と離れている環境の中だからこそ受けられるサービスがあると認識することは、現在の生活に対する満足度を高めることにつながる。また、状況によっては離れた家族と交流することも新たな生活への適応につながる。

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